ソフトバンク・和田「体がボロボロに…」引退決断に言及 松坂大輔氏は「悲しんでくれてはいた」
プロ野球・ソフトバンクの和田毅投手(43)が5日、都内で引退会見を行い報道関係者とファンに感謝を述べると「7月には引退を決めていた」「体がボロボロになっていた」と率直な思いを語った。 【映像】ソフトバンク和田、ノーカット引退会見 引退を決めたタイミングについては「最近決めたわけではなく、今年の7月過ぎくらいにはほぼ固まっていた」と語った。 決め手としては「5年前くらいから肩の痛みと闘いながら投げていて、駄目になったらもうやめようという気持ちで毎シーズン戦っていた。選手としての役割が段々と終わりを迎えているのかなという気持ちが出てきて、今年はそれを強く感じていた。今度は選手ではない立場で、ソフトバンクや野球界に貢献したい、勉強をする時間を充てたいという気持ちの方が比率として高くなってきて、その比率が完全に上回った」と説明。 「今年は、膝や腰の痛み、内転筋の肉離れなどがあり、中継ぎで投げたときも肩の痛みを抱えながら、注射を何回も打ちながら投げていた。体がどんどんボロボロになっているなと、今シーズン最後の方は感じていた」と続けた。 引退を決めてからは「今年で最後だという気持ちで、球団、チームに貢献して終わりたいと思ってやっていた。最後、肉離れをしてしまって、日本シリーズで全く貢献できず、本当に申し訳なかった」と語った。 引退を多くの人に伝えなかった理由については「ソフトバンクは優勝したが、その中で『和田のために日本一になろう』といった空気だけには絶対にしたくなかった。今年はほとんどチームに貢献できていないし、優勝したのは紛れもなくチーム全員の力で、ファンの声援があっての優勝。その中に私情を挟んではいけないと思った」とした。 22年間のプロ生活を振り返って「やり残したことはない」とした上で、「新人の頃は、日本一を1年目で経験させてもらい、今では絶対にないと思うが、先発・完投で胴上げをしてもらったこともあった。今考えたらルーキーで胴上げ投手はあり得ないが、王(貞治)監督のときに経験させていただいた。そこから怪我もあり、アメリカに行ったときに失敗もあった。たくさんのことを経験したが、全てがプラスになった。これまでの野球人生の中で無駄なことはなかった」と述べた。 43歳まで現役を続けられた理由については「たくさんの方に出会ったことで、今の自分を作り上げてもらったと思っている。22年もプロ野球をやらせてもらって本当に感謝しかない」と感謝の言葉を述べた。 ファンに対しては「本当に日本一、世界一のファンだと思っている」としつつ、「2018年は1年半も投げられなかったが、2019年にマウンドに上がったとき、すごい拍手をいただいて、これだけのファンの方が待っていてくれたのかと思うとすごく嬉しかった。あのときの拍手は忘れない。もしかしたら引退試合などをしなかったことは裏切り行為だと受け取られる方もいるかもしれないが、そこは自分のプライドがあったので考慮していただけたらと思いつつ、本当申し訳ない気持ちがある」とした。 今後については「内密に進めてきて、まだ何も決まっていない。球団の方からは、今後の話をしっかりできたらと言っていただいている。もし可能であれば、来年の3月に引退セレモニーか引退試合をやっていただけたらお願いしたいと球団の方には伝えている」と語った。 指導者としては「今は辞めて終わったばかり。まだまだ勉強不足で、すぐになれるとは思っていない。いつか、しっかり勉強してそういう日が来るのであれば、それに見合う人物になって戻って来られたらと思う」と述べた。 「松坂世代」と呼ばれた最後の現役選手として活躍したが、松坂大輔氏について「常に僕らの太陽でありトップ。私で松坂世代もついに終わってしまうというのは、本人にも連絡したら、すごく悲しんでくれてはいた。同級生全員が引退になったので、『何かやろうよ』という話はした」と明かした。(ABEMA NEWS) ◆和田毅(わだ・つよし)/1981年生まれ、島根県出身。浜田高校時代に97、98年夏の甲子園出場。早大からドラフト自由枠で03年にダイエー(現ソフトバンク)に入団。同年に14勝で新人王、10年に最多勝、MVP、ベストナインを獲得。11年オフに海外FA権を行使して、オリオールズに移籍。カブスを経て、15年オフにソフトバンク復帰。16年に15勝をあげ最多勝、最高勝率を獲得。昨季は球団最年長勝利を含む8勝。日本代表として04年アテネ五輪銅メダル獲得に貢献。06年WBC代表、08年北京五輪代表にも選出された。「松坂世代」では最後の現役選手だった。179センチ、80キロ。左投げ左打ち。
ABEMA TIMES編集部