すべては一通の手紙から始まった――北欧を代表する陶芸家リサ・ラーソンが日本で愛された17年
日本でも人気が高いスウェーデンの陶芸家リサ・ラーソン。2024年3月11日に92歳でその生涯を閉じたが、亡くなる直前まで創作活動を続け、個性的で温かみのある作品は世代を超えて愛されてきた。その功績を振り返りながら、リサ・ラーソンの魅力を日本に広めた、ある2人の女性との知られざる物語に迫る。 【画像】佐々木さんに宛てたリサの手紙。 ≫【第2回】「生まれ変わったら日本人になりたい」。日本に心を寄せ続けたリサ・ラーソンが人生の最後に手がけた作品への想い
言葉の壁を超えて信頼関係を築いた、リサ・ラーソンとの文通の日々
1931年にスウェーデンで生まれ、20代で陶芸家としてのキャリアをスタートしたリサ・ラーソン。日本では赤白の猫「マイキー」でその名を知ったという人も少なくないが、70歳を過ぎて日本で再び脚光を浴びるようになったのは、ある日本人女性との文通が始まりだったことはあまり知られていない。その女性とは、17年にわたりリサと共にものづくりに取り組んできた「トンカチ」のデザイナー・佐々木美香さんだ。 「もともとトンカチはトイカメラを製造していた会社が前身で、アーティストに写真を撮ってもらう企画が持ち上がったとき、私が候補に挙げた一人がリサ・ラーソンでした。なぜリサだったかというと、彼女の作品に『アリを見ている子ども(好奇心)』という立体作品があって、屈んでアリを見ている子どもの姿がアリそのものに見える造形がとても斬新で、“こんなユニークな発想の持ち主が、写真を撮ったらどうなるだろう”という好奇心からでした。 当時、リサの連絡先は人づてに聞いた住所しかわからず、半信半疑で手紙を出すことに。すると、しばらくしてリサ本人から返事が届いて、”私は陶芸家なのに、日本から写真を撮ってなんてオファーが来たわ! “と驚きながらも喜んでくれて。これがすべての始まりでした」(佐々木さん)
「写真を撮って」という依頼がいつの間にか「新作を作って」に…
リサにトイカメラを送ってからは、毎週のように手紙とファックスでやりとりを続け、親交を深めていったリサと佐々木さん。互いにイラストを駆使した文通は言葉の壁を越え、心の距離が近づくにつれ、クリエイターとしての佐々木さんの本能も呼び起された。 「手紙を通じてリサの温かい人柄や旺盛な好奇心に触れ、一緒にものづくりをしたいという気持ちがふつふつと湧いてきました。本来、リサは動物の陶器作品を得意とする陶芸家で、ちょうどうちのトイカメラのモチーフがハリネズミだったことから、リサに“ハリネズミをつくってほしい”とお願いしてみたんです。 その頃リサは75歳で、新作のオファーも少なくなっていたのでとても喜んでくれました。しかも、試作品もたくさん用意してくれて、どれもかわいくてひとつに絞れず、結果、『イギー』『ピギー』『パンキー』というハリネズミ3兄弟の作品が生まれました」(佐々木さん)