ヘビ神は「死の管理人」? 2025年の干支の恐るべき‟もうひとつの顔”を覗いてみた
2025年の干支はヘビ。脱皮をするその習性から、成長や変化の象徴ともされます。しかし、日本人とヘビとの長い長い関係の歴史を掘り起こした中村禎里さんの『日本動物民俗誌』を見てみると、ヘビが表すところは、どうやらそんな前向きなものだけではないようです。ヘビの「豊饒神」「農耕神」としての性格を追った前篇につづいては、正反対とも思える「死の神」としてのそれに迫ります! 【写真】「死の神」ヘビ
悪霊化して祟る
〈ヘビにかぎらず山神には祟る作用があり、人びとの健康をそこなうことは『古事記』景行記における足柄の坂本のシカ、伊吹山のイノシシの例をみても明らかである。ヤマトタケルの病死の伏線として、伊吹山の山神イノシシとの遭遇が語られている。一般に山神と死のイメージとのつながりは、あるいは山地における風葬・土葬の習俗と関連しているかも知れない。 しかし死霊が悪霊化して祟るという信仰は、とくにヘビにつよく結びつく。夜刀(やつ)の神は人に死をもたらすだけでなく、死霊の世界に関与するという仮説はすでに述べた。ヘビと死霊の重なりには、この動物の陰性・邪視力・穴居性が貢献しただろう。〉
死んでヘビになる
〈イザナミ神話はおくとしても『日本書紀』仁徳天皇紀にみられるタジの説話はそのさきがけである。蝦夷を討つべく派遣されたタジは、かえって敗死してしまう。ところが彼の墓からオロチが出現し、蝦夷たちに嚙みつきその毒で彼らを殺戮した。 死後におけるヘビへの変身譚は、道成寺説話のようないくつかの例外をのぞくと、より穏やかな形に変化して後代に受けつがれたようだ。この種の説話においては仏教の輪廻思想が合体し、金銭等への執着の報いでヘビに生まれ変わる話が主流を占めるようになる。『日本霊異記』(820年ごろ)にすでに見え、『日本法華験記』(1040年ごろ)をへて『今昔物語集』(1110年ごろ)にいたる類話の数はおびただしい。そのばあいにも死後の祟りは見られるが、多くは憑依現象のかたちをとるのがせいぜいである。 どうやら悪霊は、見えみえの動物の形態よりは、見定めがたいゆえに恐怖の心をかきたてる正体不明または半透明の亡霊の形態をえらびはじめたらしい。『今昔物語集』において人に危害をくわえる死霊の出現形態は、赤い衣を着て冠をつけたもの(巻11)、ヘビ(巻13)、生前の姿(巻14)、髪をのこした骸骨(巻24)、正体まったく不明(巻27)、赤い単衣(巻27)等さまざまである。〉