「軍が来たら書けないぞ」 鍵かけ、速報と号外対応した韓国・光州の新聞 「報道を統制」緊迫の社内
光州事件のトラウマと怒り
「軍が来たら、もう書けないぞ」。韓国の尹錫悦(ユンソンニョル)大統領が非常戒厳を宣言した3日夜、南西部・光州市の地元新聞社はすぐに社屋のシャッターを下ろし、編集局の扉に鍵をかけた。緊急に集まった記者たちは約30分後にはインターネット記事と号外対応に着手。記者たちの脳裏に浮かんでいたのは、戒厳下の1980年5月18日、民主化を求める多くの市民が軍の凶弾に倒れた「光州事件」の恐怖と、検閲によりそれを報じることができなかったトラウマだった。(光州市で、平山成美) 【写真】「非常戒厳に民主主義が止まった」との見出しを付けた光州日報の号外1面 光州日報には宣言直後、約30人の記者が続々と集まった。「フェイクニュースじゃないのか」「本当なの?」。報道をいぶかる記者たちの元に、ソウル支局の同僚から国会周辺の騒然とした映像が届く。合わせて送られてきた戒厳布告令の文言に緊張が走った。「全ての報道と出版は戒厳司令部の統制を受ける」 宣言から約30分後にはネットの速報記事を執筆。同時に号外製作を始めたが、戒厳軍がいつ侵入してくるか分からない。通常の出入り口は閉鎖し、記者たちは地下駐車場の扉に限って出入りした。 光州市のもう一つの地元紙、無等日報は陸軍31師団司令部の近くにある。玄関のシャッターを下ろし、5階の編集局に鍵をかけて作業を進めた。宣定兌(ソンジョンテ)取材2本部長は軍が来るのではないかと何度も大通りに出て、周囲を見渡した。「軍が会社まで来たら抵抗するのは難しい。姿を見かけたら1分でも早く仲間に危険を伝え、時間稼ぎをしようと思った」と話す。 戒厳下では、政権批判の記事を書くことで身に危険が及ぶ可能性もある。光州日報ではネット記事の配信を続けながら署名の有無について議論し、全て記事に署名を付けることを決めた。政治部の金へナ記者は「捕まるなら捕まってもいいと思った」。 4日午前0時ごろ、国会に戒厳軍のヘリコプターが降り立つ映像がテレビで流れ、記者のスマートフォンにも迷彩服の兵士たちが突入する映像が次々と届く。同社の中堅記者は、仲間との通信アプリで「今日が新聞製作の最後の日になるかもしれない」と書き込んだ。 混乱する国会で戒厳解除要求決議案の採決が無事に行われなければ、軍進入の危険性が増す。同社の崔權一(チェクォンイル)編集局長は約1時間で紙面を作り上げるよう指示した。 同午前1時ごろ、決議案は可決。同4時半、尹氏は解除を宣言した。記者たちは自宅などから明け方までネット配信を続けた。