スポーツ特待生に「競技だけ」の甘え許さず 「条件は?」という保護者の声も…勉強を疎かにさせない箱根常連校の規律
5年連続シード獲得から一転低迷 選手に向けられ始めた疑いの目
長年の指導の経験が活き、それが学生の力とマッチしてチームが軌道に乗った時期が2015年の91回大会から19年の第95回大会の5年間だった。5大会、連続してシード権を獲得し、中央学院大の名前を全国に知らしめた。 ――チームが好調だったのは、どこに理由があったのでしょうか。 「うちに来てくれた子のレベルが非常に高かったのが大きいですね。意識もすごく高くて、シード権を獲るのが当たり前という感覚でしたので、私が要求することに対して否定することがほとんどなかったです。しっかり練習と積み重ねていくことで結果もついてきました。でも、その後、徐々に個々のレベルが落ちてくると意識が低くなっていくので、私の要求に対して『無理です』という答えが増えて、否定的になっていきました」 ――それは、いつごろからでしょうか? 「シードを落とした時(96回大会)からですね。翌年は、予選会も突破できませんでした。その時、学生の信頼を失った感がありました。学生に何か言ってもその反応が良くないんです。シードを獲っていた時、こうだったんだといっても通用しなかったですね。この人について行って大丈夫なのか。この人が言っていることは正しいのか。そういう疑いの目を感じるようになりました」 ――選手が監督を信頼できないとチームの士気が下がり、雰囲気が悪くなりますね。 「その通りです。それから学生に対しての言い方を変えました。それまでは『こうしたらいいんじゃないか』『俺は、こう思うけど、お前はどう思う?』という感じだったんですけど、それではダメだなと思い、『お前はどう思う?』と聞いて、私の考えと全く異なる場合は、『俺はこう思うけど』に変えたんです。これはいろんな意味で良かったかなと思います。例えば、最初に『どう思う?』と聞いた時、すぐに反応出来る子とそうじゃない子がいて、やっぱり答えられる子は自分の考えを持っているので、私も『そうか。じゃあ、そうしようか』と前に進んでいけます。ただ、『そのプロセスは違うと思います』と言ってくる子もいます。お互いに考えが異なるのを摺り寄せながら合わせていくことが求められるのですが、ようやくこの1年ぐらいでそれが出来てきて、私の問いにしっかり答えてくれる子が増えてきました」 ――学生との距離の取り方が難しくなっていると感じていらっしゃいますか。 「いくらこちらがフレンドリーに接しても学生からすれば、ただの怖いおっちゃんですからね。こちらから彼らの中にズカズカと入り込んでいっても彼らからすれば迷惑なだけなんですよ。前はそうしていたのですが、これは違うなって思ったので今は学生と適正な距離を保ちながらやっていくのがいいかなと思っています」 学生とコミュニケーションを取りながらお互いの理解を深めて、チームの一体感というところに落とし込んでいく作業は、なかなか大変だ。学生のレベルに差がある場合は、ひとつにまとめるのが難しいが、一方で学生と考えが一致することが多いとレースでも結果が出るという。 ――駅伝などで学生の考えと監督の考えが一致することはありますか。 「一致する時は結果が出ますね。でも、学生間でも意見が対立して、監督が決めてくださいという時は私も迷っていることが多いので、うまくいかないですね。前回(100回大会)は、まさにそうで、あまりにも学生と考えが違うなって思っていたのですが、それがレース(総合19位)に出てしまった感じがあります」 ――ある意味、学生が一番、チームの情報を持っている感じがありますね。 「そうですね。学生と話をすると、あの選手のいいところ、弱いところなどみんな分かっています。私も見てはいますが、細部にわたるところにまで目が行き届かないところがどうしても出てきます。そういう時、彼らの情報はとても役立ちます。区間配置でも例えば10区は、長いし、暑さも出てくるので、それに対応できる選手ならこいつだなという見方をしているので、そういうのを聞いていると面白いです。最終的な見極めは私がしていますが、プロセスの中で学生たちの声はとても重視しています」 (第3回へ続く) ■川崎 勇二 / Yuji Kawasaki 1962年7月18日、広島市生まれ。報徳学園高(兵庫)で全国高校駅伝に出場するなど活躍し、順大では3年生だった1984年箱根駅伝に出場(7区区間9位)。卒業後の1985年に中央学院大の常勤助手になり、駅伝部コーチに。1992年に監督就任。1994年に箱根駅伝初出場を果たす。2003年からの18年連続を含め、今回で計24度目の出場。2015年から5年連続シード権を獲得し、最高成績は2008年の3位。現在は法学部教授として教鞭を執る。 佐藤 俊 1963年生まれ。青山学院大学経営学部を卒業後、出版社勤務を経て1993年にフリーランスとして独立。W杯や五輪を現地取材するなどサッカーを中心に追いながら、『箱根0区を駆ける者たち』(幻冬舎)など大学駅伝をはじめとした陸上競技や卓球、伝統芸能まで幅広く執筆する。2019年からは自ら本格的にマラソンを始め、記録更新を追い求めている。
佐藤 俊 / Shun Sato