練習は競馬場、携帯代は10万円超え 欧州での洗礼…決まらぬ移籍先に募ったイライラ【インタビュー】
太田氏にとって2クラブ目となった入団テストはドイツ3部のVfLオスナブリュック
いまや200人を超える日本人選手がプレーしている欧州に、15年前、果敢に挑んだ太田吉彰氏。ジュビロ磐田を退団して2009年7月、海外でのプレーを夢見て単身、海を渡った。激動の5か月間で受けられた入団テストは3クラブだけ。渡欧して3か月ほど経ったタイミングで届いた2クラブ目の入団テストのオファーは、ドイツのクラブからだった。(取材・文=福谷佑介) 【写真】欧州で激太り…太田吉彰氏の現在の姿 ◇ ◇ ◇ ヨーロッパに渡って、3か月近くなろうとしていたときだった。イギリスのプリマスにいた太田氏のもとに、ようやく2クラブ目となる入団テストの話が届いた。行き先はドイツ。ドルトムントから車で1時間半ほど北上したところにある街、オスナブリュックを本拠地にするドイツ3部クラブのVfLオスナブリュックからのオファーだった。 「プリマスにいる時も『こういうチームが興味を持っているから』っていう話はかなり来ていました。でも、結局、オファーはなし。代理人さん含め、日本人の方がめちゃくちゃ動いてくれて、そういう話は入ってくるけど、結局ダメでした、というのばかり。自分が悪いんですけど、『なんだよ!』ってイライラしかけているなか、ようやく話があったのがオスナブリュックでした」 この年のオスナブリュックは3部所属ながら、カップ戦でベスト16に進出。準々決勝で翌年に内田篤人が加入するシャルケ04に0-1で敗れたものの、リーグ戦で優勝し、翌年の2部昇格を手にした。太田氏が入団テストを受けたのはこのシーズンの真っ最中。「そこに入ることができて、活躍すれば、上のカテゴリーのチームにも見てもらえる、という話もしてもらっていました」。巡ってきた2度目のチャンス。高いモチベーションを胸にドイツへと渡った。 練習初日は確かな手応えがあった。「1日目はすごく活躍できたというか、いい動きができたなって正直思っていました。ただ、2日目あたりから一気に体が重くなって……」。実力的には戦える感触があった。ただ、プリマスで練習に参加していたとはいえ、異国の地で3か月近く試合もしていない。慣れない環境で精神的なストレスを抱え続けてもいた。状態もプレー内容も日に日に下降していった。 “まさか”の出来事もあった。太田氏の本職は右サイドだが、この時、オスナブリュック側が求めていたのは、実は左サイドの選手だった。テスト序盤、右サイドのポジションに就くと「『お前は左サイドの選手じゃないのか?』みたいな雰囲気が確かにあった」という。右サイドでプレーを続けたものの、満足いくプレーも出せず。「そこで気づけばよかったんですけど……。無理矢理にでも左サイドでやっておけばよかったな、とも思いましたね」。結果は不合格。再び入団テストのオファーを待つ日々に逆戻りとなった。