政策より情や印象が優先「簡単に変わらない」 昭和からアップデートされていない選挙
10月上旬、全国で選挙関連商品を展開する「選挙用品ドットコム」の事務所(横浜市)は、嵐のような忙しさに見舞われていた。衆院選の日程が報じられた直後から注文が殺到し、「そちらで何とかできませんか」と協力を求める同業者まで現れた。「超短期決戦の今回は特に、生き残るためのサバイバル。皆さん必要なものを手配することに集中している」と、田村亮代表は語る。 【写真】選挙ポスターが初めて本格導入された1928(昭和3)年の菊池寛の選挙ポスター 選挙カーにたすき、選挙ポスター、看板、のぼり、白い手袋…。「ポスターが防水になったりと部分的な進化はあるが、基本的には昭和から変わっていない」。選挙に「必要なもの」は定番化しているという。 ‡ ‡ 日本特有とされる選挙の風景は、どうやって生まれたのだろう。 1928(昭和3)年に実施された第1回普通選挙(第16回衆院選)に原点があると、慶応大の玉井清名誉教授(日本政治史)は解説する。 納税額に基づく制限がなくなり25歳以上の男性に選挙権が与えられたことで、有権者数は約300万人から約1200万人に急増した。同時に小選挙区から中選挙区制に変わり、候補者1人当たりの有権者数は激増。立候補制に伴う供託金制も導入された。 戸別訪問が禁止になったのもこの選挙から。「つまり候補者は、第1回普選を皮切りに、不特定多数の“大衆”にアピールしなければならなくなった」と玉井名誉教授。そこで本格導入されたのが選挙ポスターだ。一般家庭にはテレビどころかラジオさえ普及しておらず、ポスターは最新の「メディア」と言えた。 当時の九州日報(現西日本新聞)をめくってみた。路面電車の線路沿いに隙間なく張られ、博多や天神が<ポスターの大激戦地>となった様が報じられている。張る場所や枚数に制約がなかったためで、全国的にも民家の塀や電柱、果ては雪ダルマにまで張られて社会問題化。規制が強いられるきっかけともなった。今のような選挙ポスター用の公営掲示板が設営されたのは、62(昭和37)年と64(昭和39)年の公選法改正によるという。 第1回普選のポスターを見返すと、名前を大きく書いてキャッチフレーズを添えたデザインが目立つ。<アナタの同情の筆先で 書いて下さいこの通り>と懇願するものも。玉井名誉教授によると、当時は票の売り買いを当然視する人も少なくなく、投票率の高さは必ずしも政治的関心の高さには比例せず、買収の徹底に比例。「政策より情を優先するのは今と同じ。普通選挙の実現で民主主義が開花するという理想とは裏腹に、現実の有権者の政治的関心は低く、皮肉なことに普選は政治腐敗を加速した」 ‡ ‡ 選挙ポスターから始まった、メディアを使った大衆へのアピール。平成に入るとテレビが大きな役割を担った。 2005(平成17)年の郵政解散・衆院選は、当時の小泉純一郎首相が短いメッセージやラフな服装など、テレビをうまく使った発信力で自民党を圧勝させた。報道番組のワンシーンのような政党CMも話題を呼んだ。 慶応大の李津娥(イージーナ)教授(メディア心理学)によると、選挙ポスターやCMなどの政治広告より、政治報道の方が有権者の信頼度が高い。政治家側も、そうした特性を利用してテレビ番組に取り上げられやすいイメージ戦略を重視する。その結果、より表面的で端的なイメージの選挙になってきたという。 令和になり、報道と広告の境界をさらに曖昧にしたのがSNSだ。7月の東京都知事選では、政党の支援を受けない石丸伸二・前広島県安芸高田市長が、ユーチューブやTikTokなどを駆使して若者票を取り込み2位に躍り出た。李教授は「政策というよりは古い世代と対立するというイメージが先行した形。家にテレビも新聞もない若年層に人気のSNSの影響力が可視化された」と語る。 みんながNHKを見て新聞を読んで同じ情報を共有する時代は終わり、何を情報源にするかで選挙の見方も人それぞれ違ってくる。ただ、SNSの利用者が選挙区の有権者とは限らない。「地方を含む選挙では伝統的な選挙運動がまだまだ重要になるのではないか」と李教授はみる。 ‡ ‡ 「衆院選でわれわれがメインターゲットとする有権者は60代以上が基本。投票率の高い“常連客”に刺さることが原理原則で、だから選挙には『型』があるんです」 冒頭の選挙用品ドットコムの田村代表は言い切る。 平成初めから「日本初の選挙プランナー」として多くの選挙を手がけてきた三浦博史さんは「政策の中身より、立ち振る舞いを含めた外見力や好感度が大部分を占める」と指摘。「人間の心理が変わらない限り、選挙ってのは簡単に変わらない」と語る。 時代が移ろっても政策より情や印象を優先するという傾向自体はアップデートされていない。立候補する人々の顔ぶれがいくら変わっても、われわれ有権者が変わらなければ、当面、この傾向は続きそうだ。 (川口安子)