男子バレー小川智大がいま明かす…パリ五輪落選も「幸せな時間だった」ブラン監督が認めた世界トップリベロの本音「謝ってほしくないというか」
選考後にブラン監督にかけられた言葉
福澤 今の決まりでは、リベロはオリンピックでコートに1人しか立てない。狭き門だけど、小川選手と山本選手の関係は、はたから見ていてもいい関係だなと思っていました。ライバルでもお互いをリスペクトして、日本のリベロの地位をふたりで築き上げていった印象があります。 結果的には、人が人を選ぶスポーツということで、そこは自分では操作できない部分でした。そのなかで、自分がやってきたことへの納得感、これだけやって選ばれないのであればしょうがないなという気持ちはありましたか? 小川 いやあ、そこは「ある」とは言いたくない……。落ちてしまったということは、何かが足りなかったわけですし、もう少し工夫したり、何かをしていれば、違う結果もあったのかな、と思います。でも自分が、パリ五輪に出場するためにはこれをやったほうがいい、と考えてやってきたことに関しては全く悔いはありません。 福澤 私も東京五輪のメンバーに最後の最後で落ちて、「選考に漏れる」という感覚や、気持ちの整理がなかなかつかないのも分かります。私も、ここまでやってダメなら仕方ないなという思いがありました。私のポジションにも、(高橋)藍とか、大塚(達宣)とか、今後の代表を担うだろうという、自分も認めざるを得ない宝のような存在が現れた。年齢的にも最後の挑戦というところもあったので、自分の中でも受け入れないといけないなという状況で選考を迎えたんです。 その時に、ブラン監督(東京五輪当時は日本代表コーチ)を見ていて、選ぶ側の辛さをすごく感じた。一緒にずっとやってきて、私をリスペクトしてくれているのも分かっていました。小川選手は、ブラン監督や周りのスタッフとのコミュニケーションで記憶に残ることはありますか。 小川 そうですね……。選考のミーティングが終わってすぐ、外に出ようとしたときに、強化委員長の南部(正司)さん、ブラン監督、アナリストの伊藤(健士)さん、行武(広貴)さんと会ったんですけど、みんな「ごめんな……」とその言葉しかなくて。僕は、謝ってほしくないというか、しょうがないことだと分かっていたので。 スタッフの人も本当に難しかったと思うので、その気持ちも分かりますし。とにかく、あまり人と話したくなかったです。一人で整理できる問題だったので、場所を変えたかったです。その後、ネーションズリーグファイナルに移動する空港で、ブランが話しかけてきてくれました。 「今までで一番難しい選考だった。君がやってきたことは間違いじゃない。リベロとして世界のトップだと思う」と言ってくれて。それで僕の気持ちが何か変わるわけではなかったんですけど。アフターケアをしてくれてありがたいと思いました。 福澤 外された側の気持ちというのは、私と小川選手だったら、多少はシェアできるかもしれないけど、その瞬間を味わった人にしか分からないものがありますよね。いくら言葉にしても伝わらないんでしょうね。 小川 そうですね。
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