〈追悼・篠山紀信〉「カメラマンっていうのは泥棒なんだよ!」“時代”を撮り続けた写真家の、知られざる “食”へのこだわりと人柄
今年1月、83歳で亡くなった国民的写真家・篠山紀信氏。前編記事『〈追悼・篠山紀信〉「俺に撮るなって言ったのは、お前が初めてだぞ」40年来の盟友・立川直樹が明かす秘話』では、篠山さんと40年以上の付き合いがあった立川直樹氏が、篠山氏との思い出のエピソードを明かしてくれた。後編では、篠山氏の知られざる食へのこだわりと、人柄について語ってもらった。 【写真】篠山氏と40年来の友人・立川直樹氏
「立川についていけば、美味いものが食える」
食べ物はすごく好きな人だった。美味いものを食べさせれば、とにかく機嫌が良くなったね。こだわりもあって、イタリアに一緒に行った時に、すごくちゃんとしたレストランに入ったんだけど、篠山さんが、アーリオ・オーリオ・エ・ペペロンチーノを注文した。 そしたら、小さい子供が持つようなランチボックスから江戸むらさき(のり佃煮)を取り出して、ペペロンチーノにかき混ぜて「食ってみろ!」って言うから 食べてみたらめちゃくちゃ美味い。そしたら、そのお店のシェフが飛んできて「なんてことしてくれたんだ!」って言う。篠山さんはシェフにも「とにかく食ってみろ!」って。 シェフが一口食べて「美味いです!」。「美味いだろ! これがアーリオ・オーリオ・江戸ロンチーノだ!」って(笑) だから、篠山さんと仕事をする時は、ケータリングセンスは大事だったね。世田谷で撮影があった時なんかは、下馬の天ぷら屋に電話で「この時間に行くから、着いたらすぐ食べられるようにして」って言っといて、撮影スタッフみんなで行って揚げたてを食べた。寿司屋なんかもそんな感じでうまく使い、ロケ弁みたいなものは食べないようにしていた。 だから、僕の舌のことを、篠山さんはすごく信頼してくれていたと思う。「こいつについていけば、美味いものが食える」って言って、僕に「ポリス・ドッグ」ってあだ名をつけていたくらい。篠山さんの事務所の近くにあった「孫」って言う中華では、「最近立川が来た時に頼んだものとまったく同じものを出して!」って注文をしてくれていたみたい。