〈追悼・篠山紀信〉「カメラマンっていうのは泥棒なんだよ!」“時代”を撮り続けた写真家の、知られざる “食”へのこだわりと人柄
安心して付き合える「年上の人」だった
付き合いとしては40年。本当に長かった。最後に会った時は、もう具合が悪くなっていて、小さくなって、篠山さんだってもうわからないくらいだった。誰かの写真展のオープニングパーティーだったかと思うんだけど、もう亡くなる直前か、1年も前でもないと思う。「この頃、調子悪いんだよね」って言ってた。 ずっと飛ばして仕事してきた人って、なんだかフッて落ちる。車が急に止まるみたいに。周りが思っている以上にダメージを受けてるんだと思う。逆に病気がちで入退院を繰り返しているような人の方が長く生きたりするのかもしれない。篠山さんはやっぱり、元気でコロッていっちゃうタイプの人だったのだと思う。 篠山さんがお寺の息子だから言うわけじゃないけど(笑)、僕にとっては、お寺の住職みたいな人だったかもしれない。 居心地の良い、萬福寺とか一休寺みたいな。洒脱な住職。事務所に行って、お茶を飲んで喋って。すごく良いバイブレーションをくれる年上の人だった。安心して「年上だ」って思える人だったね。年上でも心配になる人っているじゃないですか。篠山さんは、本当に人に心配かけさせない人だった。そういう意味でも本当に好きだったな。 例えば「俺はあいつが嫌いだ」みたいなことも、軽く言う感じがすごく好きだった。そこも「東京」っぽくて。ネチネチしてなくて。そういうところも、なんだか住職っぽかったんだよね。 今、篠山さんに訊きたいこと? 「最近、美味しかったお店ある?」くらいかな。 ・・・・・ 【もっと読む】〈追悼・篠山紀信〉30年来の付き合いだった中森明夫が明かす「一度だけの大ゲンカ」と「守り続けた約束」
立川 直樹(プロデューサー/ディレクター、音楽評論家)