阿部定の素顔 まるでどこかのスター、三橋美智也のファンで後援会にも、気まぐれな人…どんな晩年を過ごしたのだろうか
それほど苦労ができる人ではない
『阿部定正伝』(情報センター出版局)の著者、堀ノ内雅一氏はこう推測する。 「可能性として、いちばん考えられるのは、誰かが、晩年の阿部定さんを最後まで世話して、人知れずどこかに葬ったということです。これだけ記事やテレビの番組に情報が出ているのだから、一般の老人ホームなどで亡くなっていたら、必ず身近で世話をしていたという人が名乗り出るはず。それが現在まで出て来ないということは、彼女を本当に大事に思っていた人に、最後まで匿われていたということが考えられます。 もうひとつの可能性は、病気や認知症などで本人の自覚がなくなってしまい、誰も阿部定とは気付かず、今もどこかの施設に別の名前で保護されているか、あるいは無縁仏として葬られてしまったケースです」 晩年、「富士の青木ヶ原の樹海で人知れず死にたい」と本人が漏らしていたとも伝えられるが、堀ノ内氏は、阿部定は自ら死を選ぶような女性ではない、と言う。 「自死を選ぶような女性であれば、事件のときに吉蔵と心中していただろうし、とてもそのような性格とは思えません。あれだけの事件を起した後も、長年生き延びてきたわけですから。どちらかといえば、幼い頃から甘やかされ、楽なほうへと流れてゆく性格で、それほど苦労ができる人ではないんです。いずれにせよ、自分で最期の地を選ぶとしたら、見ず知らずの土地ではなく、やはり馴染みのある場所を選ぶのではないでしょうか」
縁戚は「わかりません」と
下町で有名な墓地といえば、かつて霊能者の宜保愛子が阿部定の霊に出会ったという噂もある、谷中霊園が真っ先に思い浮かぶ。 谷中霊園には、阿部定と同様に、男を殺して愛人と強盗を働き「毒婦」として有名になった高橋お伝の墓もある。しかし今回、霊園管理所で尋ねても、阿部定の墓は確認できなかった。谷中霊園にある墓の数はおよそ7000基。偽名での墓となると、確認しようがないのが現実だ。 取材の最後に、東京の郊外に住む阿部定の縁戚をたずねた。あるいは、阿部定と縁があることも知らないような、遠く離れた世代。もしかしたら、という一縷の望みがあった。 行き着いたのは、静かな住宅街に佇む、豪邸ともいえる立派な家。 「阿部定さんから連絡があったことは?」という、インターフォン越しのこちらの問いかけに、「ありません」という、短い答えが返って来た。「まだご存命なのでしょうか?」という問いかけにも、「わかりません」。 突然の問いかけにも、あまり動揺がなく、落ち着いた対応だった。戸惑う以前に、とっくに縁が切れている、そんな気配だった。 ちなみに、殺された石田吉蔵の墓は、港区元麻布の仙台坂下の専光寺にある。こちらも訪ねると、墓はすでになく、寺内の無縁塔に骨があるかどうかもわからないという。過去帳に残っている記載は「変死」。それだけが、事件を唯一物語るものだった。同寺の関係者によれば、これまで阿部定が、墓参りに訪れたことはないという。 天涯孤独。そんな言葉を、阿部定は幾度か口にしたことがあったという。だが日本の犯罪史上に残る事件の主人公が、この世から何の痕跡も残さず消えてしまうことがあるのだろうか。いやしかし、と考え直す。奇怪な現代だからこそ、そんなこともありうるのかもしれない――。 *** ある日ふっつり、何の痕跡も残さずに消えた阿部定。第1回【「阿部定」はどこへ消えた…66歳の時「ショセン私は駄目な女」の書置きを残し失踪、住民票は削除、死亡届なしの謎を追う】では、怒涛の前半生と、東京都台東区で住民票が「職権消除」削除されていた事実を伝えている。 上條昌史(かみじょうまさし) ノンフィクション・ライター。1961年東京都生まれ。慶應義塾大学文学部中退。編集プロダクションを経てフリーに。事件、政治、ビジネスなど幅広い分野で執筆活動を行う。共著に『殺人者はそこにいる』など。 デイリー新潮編集部
新潮社