阿部定の素顔 まるでどこかのスター、三橋美智也のファンで後援会にも、気まぐれな人…どんな晩年を過ごしたのだろうか
まるでどこかのスターのようだった
竜泉の隣町、下谷1丁目界隈は、高層のマンションが立ち、すっかり様変わりしている。しかし阿部定が一時暮らしていた長屋のあたりには、まだ古いアパートが残っていた。その一角に、阿部定と同じ長屋で暮らしていた女性が健在だった。 「当時まだ私は子供だったけれど、強い印象が残っているよ」 と彼女は当時を振り返る。いつだったか、白い上下のスーツに、スミレのコサージュ、白いパンプスに帽子という出で立ちで、路地を歩いていたのを覚えている。まるでどこかのスターのようだった。長谷川一夫が大好きで、東宝歌舞伎をよく観に行っていた。三橋美智也のファンで、後援会にも入っていた。 「親代わりだった稲葉さんは、カタギの人に見えなかった。服を脱ぐと、背中に大きな刀傷があってね。お葬式のあと、近所の人たちで家の整理をしていたら、“娼妓紹介所”という大きな看板が出てきてね。そっち方面の人だったんだね。阿部定さんと、男女の関係があったという人もいたけど、本当のところはわからない」 稲葉というのは、阿部定の長兄の嫁の親戚で、阿部定が17歳で芸者として売られたとき、面倒をみた人物である。その頃からの長い付き合いだった。
一言でいえば、自分本位
夕方になると2階から下りてきて、職場に出かけるという阿部定の日々。夜は11時頃、酔っ払って大声を出しながら帰宅する物音が、毎日のように聞こえた。 「南千住かどこかの鉄工所の社長さんが、パトロンのような人で、毎日のように送ってきていた。稲葉さんが亡くなった後、定さんは長屋を出て行った。稲葉さんの奥さんが亡くなったときは、通夜には来ていたけれど、お墓参りはしていなかった。ずいぶん世話になったはずなんだけどね。お寺から“阿部さんはどうしたんですか”と聞かれましたよ」 彼女によれば、阿部定は「気まぐれな人」だった。 「一言でいえば、自分本位。自分以外のことに興味がなかったのではないかしら」 とはいえ、立ち振る舞いに悪気があるわけではなく、近所で悪く言う人はいなかった。 「今どこにいるか? さあ、まったくわかりませんね。千葉の方で働いているという話は聞いたけれど、それっきり」 浅草の馬道通りの方に稲葉の墓があるという。その寺を訪れると、稲葉夫婦の遺骨を守る人はおらず、とうに無縁仏になっていた。そこに阿部定の影はなかった。