"神スタイル"の青井春が語る初グラビアの記憶「『大御所感あるね』『どっしりしてるね』とも言われました(笑)」
『週刊プレイボーイ』に登場する美女たちに記念すべき「初グラビア」の思い出を語ってもらう『初グラビア物語~My First Gravure Story~』。今回はチート級ボディに人気タレント・青井春(あおい・はる)さんによる前編。 【写真】青井春の初水着グラビア 青井さんは6歳からモデル、女優として活躍。2017年に「はるかせ.」名義で『週刊レイボーイ』11号に初グラビアを披露すると、端正な顔立ちとB90W55H83という抜群のプロポーションがたちまち話題に。 2020年『週刊プレイボーイ』46号で「青井春」に改名後は、グラビア以外にバラエティ番組などにも登場。活動の場を広げている。今回はそんな彼女に初グラビアに至るまでのエピソードを語ってもらった。 ーー週プレにゆかりのある女優さん、タレントさんなど皆さんに、初グラビアの思い出を、その前後とあわせて伺っています。青井さんは小さい頃から芸能のお仕事をされていたとか。 青井 はい。6歳くらいから劇団に入っていて、舞台やお昼のテレビ番組の再現フィルムに出たり、あと教科書のモデルなどをやっていました。 ーー芸能の世界に憧れていたんですか? 青井 いえ、それはまったくなかったです。もともと私、いじめられっ子で、学校に友達が全然いなくて。それを見かねた親が、学校の外で友達を作るために習い事をさせようと、劇団に応募したんです。それで通っているうち、ありがたいことにいろいろなお仕事をいただくようになったんです。 ーーなるほど。で、そのまま女優などの道へ? 青井 それがそうはならなくて(笑)。やっぱり自分で応募して始めたわけではないから、お仕事自体は楽しんですけど、気持ちがもうひとつ入らなかったんです。周りはすごく必死にやってる人ばかりなのに自分はこのままでいいのか、みたいな。 一方で、自分の中でずっと好きだったファッションへの興味が沸いてきて。そこで16歳の時に劇団を辞め、勉強してファッションの勉強ができる大学へ進学しました。あと、オーディションに応募してモデルとしても活動するようになりました。地元・大阪を拠点に、関西コレクションなどに出たりしていました。 ーーもともとはファッションが好きだったんですね。 青井 とても。幼い頃は人形に服を着せるだけなく、唇にマニュキュアを塗ったりして、トータルでオシャレさせていましたし(笑)。大学ではミシンを踏んで、パターンをひいたりして洋服を作り、メイクの学校にも行きました。 ーー普段からオシャレで華やか。ズバリ、モテたんじゃないですか。 青井 いやいや。そもそも男性と接する機会がなかったですから。それに私、目立つのが好きじゃないんですよ。人に見られたり関心を持たれたりするのが結構、苦手で。 ーーモデルをやって人前に立つお仕事をしているのに? 青井 いや、それはどちらかというとファッションが好きでやってるって感じで。じつはすごくマイペースな性格なんですよね(笑)。 ーーそんな青井さんは2017年の『週刊プレイボーイ』11号(2月27日発売)で、初グラビアを披露します。どういう経緯だったんですか? 青井 モデルのお仕事が順調で、ウォーキングの先生をさせていただくことになったりと、割と多忙になってきたんです。その中である方が事務所を作って、私をマネージメントをしてくださることになったんです。で、その方を通じて『週刊プレイボーイ』の編集さんを紹介していただき、グラビアのお話をいただきました。 ーー2017年当時は、馬場ふみかさんをはじめモデルとグラビアの二刀流で活躍する「モグラ」がブーム。その流れにのって青井さんもグラビアをやってみては、となったんですかね。 青井 う~ん。どうなんでしょう。でも私、週プレさんに行くとき、グラビアのお話があるかも的なことって考えてなかったんです(笑)。それまで自分がグラビアをやるなんてまったく考えていなかったので。なんならグラビアに対して、ちょっと偏見があったくらい。でも、ものすごくテンポよくお話が進んだこともあって、じゃあやってみようかとなりました。 ーーグラビアは「はるかぜ.」名義でしたよね。 青井 それ、当時のあだ名で、自分的にはちゃんと芸名が欲しいなと思っていたんです。だけどあっという間に撮影日となり、さらにすぐに掲載日が決まって。結局、これだというのが思いつかず、そのままいくことになりました(笑)。 ーーでも、とにかく早急に読者にお披露目したい! という編集者の気持ちも理解できます。それくらい魅力的ですから。 青井 いやいや、そんな(笑)。