イチロー決断の理由。日本復帰の選択肢もあった?
「球団のやたらと熱い思いが伝わってきて、この思いに応えたいと思いました。昨日、実際(球団幹部と)顔を合わせて話をして、その気持ちが大きく沸いてきた。この2年間、欲していたものは、これだったのじゃないかなと思っています、選手として必要としてもらえること。これが僕にとっては何よりも大切なもので、大きな原動力になると思う」 ヤンキースの2年間はスタートこそ重宝されたが、その後は、結果を出しても冷や飯を食わされた。 「必要とされていなかったとは言っていない。素晴らしい経験。なかなか、あの経験はできることではない。この先、僕の未来のなかで、大きな支えとなる2年間」と、イチローは、この2年を総括して、新しい扉を開けたのである。 それにしてもマーリンズでは、立場は第4の外野手である。レギュラーのまだ固まっていないチーム、もしくは、日本という選択肢があってもおかしくなかった。 日本復帰は考えたか?と聞かれてイチローは「いろいろ考えました。それで察して下さい」と否定はしなかった。実際、広島が黒田博樹へ毎年オファーを出していたように、古巣のオリックスも、また毎年“オファー”は出している。だが、イチローは第4の外野手の立場を理解した上でマーリンズとサインをした。 「4番目の外野手は想定内。なかなか40をこえた野手に3番目のポジションを与えることは(メジャーではない)。年齢でカットされる傾向にあるので4番目は、なんの問題もないこと。3番目を望むというのは、そんな自分は、どうかなと思いますけどね。5番目では、辛いかもしれないけれど、それに僕はピッチャーもできますからね」と、延長につぐ延長でピッチャーがいなくなったケース、ピッチャーができる超ユーティリテイプレーヤーであることも冗談半分にアピールした。 交渉過程ではイチローが考える合意に向けての条件がひとつひとつクリアされていったという。 「マイアミと聞いて“おおっ!”と思った、これは文字では表現できないでしょう、一番遠い場所で、情報ももっとも少ないチームのひとつでした。マイナス要素をあげていって、それをクリアできるかを考えたんですが、いろいろと話をしている間に、それらを全部クリアしちゃったんです、マイナス要素の細かいことで言えば(背番号の)51だったり、ウエイトのマシンを置けるスペースがあるかという問題であったり(イチローは、コンディショニングに初動負荷トレーニング用の特殊なマシンを使う)、体重をコントロールできる場所であるかなどということなんですけど、それらがすべてクリアされた。そうすると、この話に対して、ノーという理由がなくなった」 ヤンキース時代の背番号は「31」だったが、背番号「51」への思い入れは、イチローにとって契約を左右するほどの条件のひとつだった。 「実は、昨晩、ユニホームをもらいました、背番号は15番でした、どうしてかな?と思ったんですが、アメリカは、右側通行、日本では左側通行、そういう解釈もあるのかなと思い、今も、その15番を隠し持っています(笑)。ただ(これからは)サインを書くときは、51と記すことができます。僕の本能で、背番号が(ヤンキースで)31になったときに一番最初に書いたサインは、51と書いてしまったくらいで、手は、51をよく覚えています。無意識下で51としっかりと書けることが嬉しいです」 マーリンズのユニホームを部屋で何度か試着してみたともいう。 「似合っていないと思うでしょう。これから似合うようにします」 永遠の野球小僧。ピュアな野球スピリット。それこそがイチローの変わらぬものだ。 「新しいユニホームをきたらテンションがあがります。それはずっと変わらないこと。ホテルで何度も着ました。それは子供のころから変わらないところですね。15年より、もっと前から変わらない部分ですかね」