【とっておきメモ】和田毅、受け入れたプロ22年目での中継ぎ配置転換「こんな心境なんだ」新境地
和田毅の覚悟は本物だった。プロ22年目での中継ぎへの配置転換受諾は、生きる道を模索した上での決断だった。「今年に関しては、中継ぎで貢献する道しかない」。先発へのこだわりを捨て、チームのために戦った。 9月5日、小久保監督と倉野1軍投手コーチに配置転換を打診された。痛めていた左膝が完治に向かう過程だった。「その時は藤井やマツ(松本裕)が離脱している状況だった。中継ぎが薄い状態であれば貢献できるかもしれないと思って」。即座に首脳陣に「チャンスがあるならば是非やりたいです」と返答した。 9月29日の日本ハム戦。7回2死二塁でマウンドに上がり、1球でアウトを取った。自主トレの後輩、前田純の初勝利もかかっていた。「絶対に抑えてあげたいと思った。いろいろな感情がありました。リリーバーってこんな心境なんだな」。43歳にして新たな境地に達した。「自分が先発の時は、そういう難しいポジションを託していたんだなと改めて実感しました。中継ぎの方に勝たせてもらっていたんだなと」。積み上げてきた日米通算165勝。その実績を、感慨深く思い返していた。 2軍で2試合、1軍で3試合リリーフ登板した。難しい点は「どれだけ球数を少なくしてマウンドに上がるか」と言っていた。いつから、どれだけキャッチボールをすればいいのか。中継ぎは時間に合わせて肩を作るわけではない。状況によっては1イニング10球以内でチェンジになることもあれば、球数がかさむこともある。「その辺の調整具合は難しかった」。引退後は指導者になる可能性もあるが、貴重な経験だったに違いない。 日刊スポーツには特別コラム「軌跡」を寄稿していた。由来は「和田毅の足跡を残す」だった。数々の記録を生み出してきた歴史が色あせることはないだろう。【ソフトバンク担当=只松憲】