イマジナリーフレンドは大人こそ必要?映画『ブルー きみは大丈夫』を観て蘇った温かさと罪悪感
昔いた「空想の友達」
私には小さい頃、友達がいた。背中に羽が生え、ピンク寄りのオレンジ色をしたスリップドレスを着て、常に私の顔の周りを飛びながら「アノサー」「アンタサー」とギャルのように話しかけてくる友達であった。 【画像】トトロを彷彿とさせ、とても触り心地がよさそうなIF けっして暑さでおかしくなったわけではない。妄想の友人、イマジナリーフレンド(IF)の話である。名前は「ツィー」だった。 私は身体が弱く、中学2年生くらいまで、よく学校を休んでいたが、彼女がいたから寂しくなかった。あんなにずっと一緒にいていろいろ相談したのに、いつの間に忘れてしまったのだろう。 ウィキペディア情報ではあるが、イマジナリーフレンドとは、次のような説明が書いてある。なになに――。 『通常児童期にみられる空想上の仲間をいう。イマジナリーフレンドは実際にいるような実在感をもって一緒に遊ばれ、子供の心を支える仲間として機能する。イマジナリーフレンドはほぼ打ち明けられず、やがて消失する。 主に長子や一人っ子といった子供に見られる現象であり、5~6歳あるいは10歳頃に出現し、児童期の間に消失する。』 ほうほう。成長過程でいなくなるものなのか。じゃあ、いいか……。 しかし先日、イマジナリーフレンド(IF)をテーマにした映画「ブルー きみは大丈夫」を観に行き、「じゃあ、いいか」という気持ちが吹っ飛んでしまった。 叫びたい。本当にごめん! 私のIF、カンバーック!! イマジナリーフレンドがいた方、この映画は危険だ。ハンカチが5枚くらいいる。『インサイド・ヘッド』に登場する心の友達・ビンボンもヤバかったが、ブルーは距離感がリアル。だから感謝と同時に、罪悪感がブッシャーと溢れ出る!
「トイ・ストーリー」の罪悪感が蘇る
『ブルー きみは大丈夫』はまさに、子どもに忘れられたIFの話。彼らは、彼らのことが見える子どもを探さないと消えてしまう。そこで、主人公のビー(ケイリー・フレミング)が、IFが見える不思議な大人カル(ライアン・レイノルズ)と共に、子どもとIFのマッチングサービスを始めるのだ。 モフモフのIF「ブルー」はトトロを彷彿とさせ、とても触り心地がよさそうだが、なんだか惜しいデザインのIFも多い。シャボン玉の泡のIF「石けんバブル」、緑色のスライムのIF「スライムボール」は、正直カワイイとは言えない。はっきり言ってしまうと雑なデザインである。しかしその雑さが、子どもの落書きから生まれた空想の友達っぽくて、リアルで泣けてくるのだ。 しかもIFたちの声がとても感情豊か。吹き替えを見てみると、なるほど、マット・デイモンやジョージ・クルーニーなど大スターたちの名がズラリだ! イマジナリーフレンドが、子どもに忘れられる寂しさを語るシーンは、イタタタタ、胸が痛いよ、痛すぎる(泣)。この罪悪感、「トイ・ストーリー」を観たときの感覚と似ている。おもちゃの目線で描かれたあの映画は、子どもの頃、リカちゃん人形の髪の毛を鷲掴みにし、「がははは!」と振り回しながら遊んだ己の過去を後悔するのにじゅうぶんだった。 「いくらガキだったとはいえ、私のした所業は許されるものではない……」と凹みまくった感覚が「ブルー」でも再び――。 後悔と感謝が混ざりに混ざって涙腺をドカスカ突いてくる。溢れ出る涙を拭きながらエンドロールを観終わり、劇場が明るくなると、私はすぐ、自分の肩のあたりを見た。そして、何十年ぶりに話しかけてみた。 いる? もしいるなら、聞いて。忘れててごめんよ。消えないで。