「"やってあげる"ではなく"してあげたいからする"」ティモンディ前田裕太が恋愛の失敗から学んだ"お付き合いの極意"
"してあげる"ことに見返りを求めてはいけない
人は一人で生まれてきて、一人で死んでいくもの。 けれど、それまでの道中で、より幸せになるからお互いパートナーと共に歩いていく訳で。一人で生きているよりも、より自分が良くなる相手と一緒にいれたら良いですね。 ただ、相談者の方は、素敵な相手と懇ろな関係になったのに、その優しさに後ろめたさを感じてしまっているんですね。 個人的には、パートナーの方は"してあげている"とかいう考えというよりは、好きだから"したい"と思っているのではないか、と思います。 同じように、相談者の方がパートナーの人に"してあげたい"と思うことをしてあげられると良いですね。してもらっていると罪悪感があるのであれば余計に。 ただ、気をつけなければならないことがあります。 自分もパートナーに対して行動をしてあげたとしましょう。そこを"やってあげている"という思考になると良くない。 周囲にも、そんな思考の人を見かけたりしますが、誰かと良好な関係を築きたいのであれば、注意しなければいけません。 その考え方だと「これだけやってあげたのに」とか「私はこれだけやったのに、相手はこれくらいしかやってくれない」と思うようになってしまう。 恋愛も、人間関係も、何にでも言えることですが、見返りを求めてはダメですね。そうなってしまっては、あとは破局するのみの道になってしまう気がする。
「相手に期待すること」とは「理想の人物像を押し付けること」
人生とは、誰かと何かを与え合えるもの。 与えても与えても返ってこなければ、愛想尽かされることだってあるけれど。 かくいう私も、これだけやってあげたのに、と思って、勝手に相手へ期待をして、それに対して返ってこないことに冷めてしまったこともある。 御令嬢が「あれをやって欲しい」「ここに連れて行って欲しい」というので、やってあげるを繰り返しているうちに(あれ、なんだかこの関係性って私が一方的に何かをしてあげているだけなのでは?)と思うようになってしまった。 本来であれば、仕事でもないのだから、リターンを求めて行動をしている訳でもないのに。 私自身がしてあげたいから「やって欲しい」と言ったことを行動に移しているのに、どこか被害者意識を持つようになってしまったのだ。 私も子供だったんです。 相手に期待をしている時点で、自分の求める理想の相手像をパートナーに押し付けてしまっていることに気づかなかったんです。 それで失敗してしまった立場から言わせてもらうと、好きだから付き合うのはいいけれど、期待はしてはいけない。 優しさを貰ってばかりで負い目があるのであれば、こちらも"やってあげたい"と思うことを、してもらったこととは別の形で何かを与えてあげればいいのではないでしょうか。 ただ、重ねて言うように、そこに恩着せがましさを含まないように気をつけましょうね。 例えば、食べ終わった食器を洗ってくれたり洗濯をしたり、生きるのに必要な行為を自分の分まで彼が担ってくれているのであれば。 それら以外のもので、やってあげたいなと自発的に思うことで相手に何かを与えられることを精力的にしてあげられると良いですね。