東山義久が明かす、『BOLERO ─最終章─』と共演者三浦宏規への思い
この夏、ENTERTAINMENT DANCE PERFORMANCE『BOLERO-最終章-』への出演を控えている東山義久。2013年に『BOLERO-Paradise Lost-』、2016年には『BOLERO 2016-モザイクの夢-』で、ラヴェルの楽曲「ボレロ」の壮大な世界観、ダンスによるドラマティックな表現への挑戦を重ねてきた。その「最終章」となる本作への熱い思い、三浦宏規との共演についてインタビューした。 【全ての写真】東山義久の撮り下ろしカット
『BOLERO』でダンサーたちの煌めきを届ける
──東山さんが過去2回にわたって取り組まれた『BOLERO』。この舞台はご自身にとってどのような存在なのでしょうか。 多くの方々がご存じなのは、やはりラヴェルの楽曲でしょう。実は、自分のダンスのルーツはラヴェルの音楽に振付けられたバレエ『ボレロ』なんです。ジョルジュ・ドン(1947~1992)が踊る『ボレロ』(モーリス・ベジャール振付、1961年初演)の映像を見て、こういうダンサーになりたいと思いました。他にも、同じ『ボレロ』を踊るシルヴィ・ギエム、また坂東玉三郎さんがチェロ奏者のヨーヨー・マとバッハの楽曲でコラボレーションした映像にも、すごく影響を受けました。三者三様、全く違う世界観を打ち出しているのが美しくて! 僕が22、23歳の頃です。 この公演を『BOLERO』と題したのは、ドンの『ボレロ』から感じられたエネルギー、生命讃歌ともいえる音楽の力──それを日本の、いまをときめくダンサーたちが踊るというのは、あるようでなかったと思ったから。僕が踊る『BOLERO』はエンターテインメント寄りですが、オリジナルの音楽、衣裳、照明をもって作り上げたら、より綺麗で面白いものになるのでは、と考えました。 ──クライマックスではもちろん、ラヴェルの「ボレロ」で踊られるわけですね。 そこに行き着くまでのダンサーたちの煌めきを、ぜひ、見ていただきたいですね。台詞も歌もない、肉体の表現でこの舞台を生き抜くことができた者にこそ「ボレロ」を踊る権利があると僕は思っているし、「そこに行こうぜ!」とリハーサルを積んでいました。 ──ダンスで物語を表現することも大事にされていますが、何か理由があるのですか。 たとえば、マシュー・ボーンの『白鳥の湖』なんて、「なんでこんな表現が!?」と思わせられるものがある。ダンサーたちが何を思って跳ぶ、回る、走る、歩くといった動きをするのか。表現したいものが明確にあるうえで、それをわかったうえで動くことで、より強く伝わるものがあるとするならば、僕は、その身体能力をもって何を表現するのかはダンサーたちに委ねるほうが絶対にいいと思っています。ただ、ストーリーだけを言いたいわけでも何でもなくて、台詞や歌なしで、綺麗な景色をお見せしたいという思いがある。しかも、「ENTERTAINMENT DANCE PERFORMANCE」! 「エンターテインメント」が入っていないとダメですよ(笑)。