獣医が「99.9%無理」とさじを投げた瀕死の子猫 諦めなかった小児科医の思い通じた「奇跡の猫」
猫を家族の一員としてお迎えする方法として、保護猫の譲渡を選択する人が増えています。そうした保護猫をお世話し、行き場を失っている猫の命を守るため、積極的に行動している人たちは少なくありません。コラムニスト・峯田淳さんが、保護猫活動について連載する企画。今回は大阪府堺市の小児科医と保護猫についてのお話、前編です。 【写真】「奇跡の猫」の子猫時代や元気に成長した姿 50匹以上のお世話をする自宅も 実際の写真 ◇ ◇ ◇
獣医もさじを投げ… 瀕死状態だった早産の子猫
かつて商人の街として栄えた大阪・堺に、「奇跡の猫」がいます。「五郎丸」という名前の8歳になるハチワレの猫です。何が奇跡か――。 母猫が保護された際、パニックになって早産してしまいます。産まれたのは5匹。わかったときには、すでに4匹は息絶えて冷たくなっていたのですが、1匹だけまだほんのりと温(ぬく)かったそうです。それでも呼吸はしていません。とっさに羊水を飲んでいるのではと思い、口で汚れを吸い取って心臓マッサージを施します。すると、生き返る兆しを感じて、急いで動物病院に連れていったそうです。 しかし、獣医は「これは99.9%無理やねえ」とさじを投げてしまいます。でも、絶対に助かる、いや助けたいという思いで連れ帰り、2時間おきに1ccの注射筒、シリンジで粉ミルクを口の中に少しずつ流し込み続けました。五郎丸は生命力も強かったのか、懸命の看病が実り、元気な赤ちゃん猫になり、今では写真のような堂々たる立派な成猫になりました。
五郎丸を育てているのは、堺市で小児科・林医院を開業している林かおる先生です。 「普通、子猫が産まれたときの体重は100グラムくらいだそうです。五郎丸は半分の50グラム以下、30~40グラムくらいでした。人間なら1000グラムにも満たない体重だったかもしれません。猫の場合は人間と同じような、医療環境があるわけではありません。五郎丸に奇跡が起きたと今でも信じています」
「私は小児科医ですから」 小さな命への思い
林先生は五郎丸への思いをこう語ります。 「私は小児科医ですから常に子どもを助けたいという思いがあります。あのときは、そんな思いが家中に伝わり、夫や姉が一緒に看病してくれたことも大きかったです。その結果、生きるか死ぬかをさまよった五郎丸が今も元気に生きている。しかも、うちにいる猫のなかで五郎丸は一番、人に懐いている猫です。 名前はラグビーの人気選手だった五郎丸歩選手からつけました。当時はラグビーで五郎丸選手が活躍していました。この猫(こ)も五郎丸選手みたいに、たくましく育ってくれたらいいなという思いを込めました」 ミルクをあげている動画もありました。五郎丸はキーキーと声を上げ、必死にミルクを吸おうとしていました。 「最初はネズミみたいに小さくて、手のひらに乗るくらいだったんですよ。それが体重50グラムを超えたときは本当にうれしかった。この猫は人間の手から飲ませてもらったミルクで育った猫やから、人慣れしている。それにとっても賢くて」 五郎丸の母猫はまだ生きていますが、乳がんであることがわかり、手術したばかりだそうです。こちらは病気からの回復を祈るしかありません。