黒沢清・行定勲・瀬田なつき・森井勇佑・山中瑶子――映画監督たちが相米慎二監督を語る
2001年に53歳の若さで亡くなった映画監督の相米慎二さん。相米監督が手がけた長編13本のうち、『お引越し』(1993年)と『夏の庭 The Friends』(94年)の4Kリマスター版が2作同時に劇場公開中だ。これを記念して、今月23日にBunkamuraル・シネマ 渋谷宮下にて開催されたイベントのレポートを掲載する(以下、敬称略)。 【動画】『お引越し』『夏の庭 The Friends』予告映像 イベントには、日本映画界の第一線で活躍する映画監督5人が集結。『セーラー服と機関銃』(81年)で助監督を務め、ディレクターズ・カンパニー(長谷川和彦、根岸吉太郎ら監督9人による企画・制作会社)の一員としても個人的に親交のあった黒沢清監督(『Cloud クラウド』)。『夏の庭 The Friends』の撮影監督・篠田昇と、デビュー作の『OPEN HOUSE』(97年)から『世界の中心で、愛をさけぶ』(2004年)までタッグを組んだ行定勲監督(『リボルバー・リリー』)。 『風花』(2001年)が最初で最後のリアルタイムで観た相米作品で、「子どもたちがイキイキしている作品作りに影響を受けた」という瀬田なつき監督(『違国日記』)。22年に公開された『こちらあみ子』が『お引越し』から影響を受けていると公言する森井勇佑監督(『ルート29』)。世代的にリアルタイムでは触れていないが、名画座での上映で出会って衝撃を受けたという山中瑶子監督(『ナミビアの砂漠』)。各世代間で交わる映画監督たちによるここでしか聞けない ”相米慎二トーク”となった。 ■多様な相米作品との出会いと俳優たちが語り継ぐ存在の大きさ イベント前日のXにて「相米慎二映画きらいな人っていなくない?」とポストしていた山中監督は、「みんな、やっぱり少なからず影響を受けているのではないでしょうか」と、若い世代にも相米作品は浸透していると話す。そんな山中監督が劇場で初めて観たのは『雪の断章-情熱-』(1985年)で、冒頭の15分ほどにも渡る長回しに特にぐっと引き込まれたという。これには黒沢監督も一番”凄まじい最高傑作”だと賛同。「物凄いものを観せられている、と思った。脚本から全く違うところに飛んでいってしまう人なんだな」と感じたという。 行定監督は「亡くなってもう23年も経つのに、今月だけでも”相米慎二”の名前を3回ぐらい俳優から聞きました」。浅野忠信、永瀬正敏、そして『お引越し』で父・ケンイチを演じた中井貴一と当時の話になった時には、現場での”無茶ぶり”エピソードを打ち明けられたという。「そういったエピソードすら俳優たちはうれしそうにしゃべっていて、憧れます。(演出家としても)敵わないなって思っちゃう」と、俳優たちに忘れられない印象を残して、相米監督作品について、いまだに誰かが語っているということにもうらましさも覚える気持ちを明かした。 黒沢監督にとって初めての相米作品は、親しかった特権で観た、デビュー作の『翔んだカップル』(80年)の3時間バージョン。アイデアを求められて試写で観たというが、「せっかくアイデアを出した部分はカットされていて、その理由を聞いたら、”お前が良いって言ったから”って」と、笑い混じりで苦渋のエピソードも。同時に、完成した映画は「ものすごくぶっ飛んだ物語で、この人は物語はどうでもいいんだなと思った」が、そんな相米監督が「物語のことをようやく計算し始めるなど、作品に変化があったのが『お引越し』あたり」と相米監督の変化を指摘した。 ■相米慎二は”反面教師”?「覚悟がないとできない」粘り強い演出について 作品の中で物語を語りながらも、俳優の躍動する肉体を上手く使った演出をみせている、新世代を代表する山中監督と森井監督。「3テイク以内で撮影を終わらせようと心がけている」という山中監督は、入念なリハーサルやテイクを重ねるといわれる相米監督のことを頭に浮かべながら「何度も(俳優に)やらせるものか!」と現場に臨んでいると語る。森井監督も同意しつつ、その裏には「相米監督のメイキング映像を観て、俺は(こんな風には)できないと思って、どうすればいいのかを考えてのこと」だそう。 東京藝術大学で黒沢監督にならった瀬田監督は、黒沢監督から”相米慎二は反面教師だ”との授業を受けたという。「(相米監督のように)およそ100テイク目までいくか、1テイク目で撮り終えるか、どちらか」という話を聞き、「一度くらい100テイクぐらい撮ってみたい」が、全く想像がつかない次元なので、「回数を重ねて、何か失われていくものがあるのかも」と少ないテイクで押さえるようにしていると語った。 行定監督の現場はリハーサル、テイクともに重ねるという意味では相米監督に近しいともいえる。それに対しては「飽きるぐらいのときがお芝居的にいいかな、と(思って)」。話によると、相米監督は明確な”OK”を出さず、「どう動くんだ」「それでいいのか」と常にスタッフや演者に投げかけていたそう。「時間の制約の中で撮りたいものを撮るために、どうしても答えを言ってしまいがちな撮影の中で、それだけのことができるのはよっぽどの忍耐と、どこかで破綻してもいいという覚悟がないとできない」と語った。 相米監督の現場にも入っていた黒沢監督は、『お引越し』以降のカメラ、”光”の扱い方がすごく良い、と俳優への演出以外にも触れた。「撮影した『お引越し』栗田豊通さん、『夏の庭 The Friends』篠田昇さんの力と、相米さんが俳優の演技よりも”光”を優先している結果がつながっているのだと思う」と、”破綻しなくなった”相米映画『お引越し』『夏の庭 The Friends』を絶賛。 特に『お引越し』のとあるシーンについては「お手本のよう」と語る。桜田淳子演じる母・ナズナがある行動をとるシーンで、「日本映画史に残る代表的なシーン。まいったなと感じました」と、桜田の鬼気迫る演技と、カットを割っているのにそれを感じさせない自然な流れに触れた。 また、演出については相米映画で象徴的な雨降りのシーンで、なぜ手前の方しか雨が降らないのか、と行定監督から質問があり、黒沢監督は「現場が付いていけていないから」としつつ、でも「ヘンテコなことが好きだったんだと思います」と笑い交じりに語る場面も。