木梨憲武、ドラマ主演でも光る理由 型にハマらない柔軟性と圧倒的な〝スピード感〟 今のコンビの状況は?
個人事務所だからこその芸風
多彩な活動で話題を呼ぶ背景には、大手芸能事務所に所属しなかったとんねるずならではの流儀がある。 2人は『お笑いスター誕生!!』(日本テレビ系)で活躍し始めたことをきっかけに、当初は同番組の演出を担当していた制作会社「日企」に籍を置いた。1983年に西城秀樹の初代マネージャーが設立した「オフィスAtoZ」へと移籍後、1994年に「アライバル」を立ち上げ独立。その後、木梨が抜け、自身の事務所「キナシコッカ(旧・コッカ)」を設立し現在に至る。 では、なぜ大手に入る道を選ばなかったのか。木梨は著書『みなさんのおかげです 木梨憲武自伝』(小学館)の中でこう語っている。 「個人事務所の場合、事務所がやるべきことを俺たち自身でやることになる。『マネージャーを通してください』とか、『まずは事務所の担当者同士で話を詰めましょう』といったやりとりはすっ飛ばして、俺たちタレントが直接、自分の出る番組を即決し、制作側の人たちと話したり、出演交渉をしたりするわけだ。だから動きが速い。そういうスピード感も俺たちには合っているんだよね」 師匠や芸能事務所という後ろ盾を持つのが当然だった時代、とんねるずは出演番組や行きつけの店で知り合ったタレント、作家、ディレクターなど個人的な人脈を広げ、新たな企画やプロジェクトを展開していった。 1991年から10年間、年末にフジテレビ、日本テレビ、TBS、ニッポン放送の番組関係者やライブスタッフ、親しい作家などを集めて「とんねるずの大宴会」を開いていたというエピソードも実に彼ららしい。 出演者と制作陣が一丸となって番組を作っていたからこそ、番組の視聴者にも現場の活気や臨場感が伝わったのだろう。
変わらないコンビの関係性
「歌や笑いにもセオリーがあるものだけど、俺たちは独自のスタイルでこれまでやってきた。(中略)だから、いまさら無理やり、『似合わないこと』はしたくない。とんねるずらしくないことはしない。いまは、俺たちに似合うことを探しているときなんだ」 前述の著書『みなさんのおかげです~』の中で木梨はこう記している。高校時代に先輩を笑わせていた部室芸が『とんねるずのみなさんのおかげです。』のコントにつながり、歌番組が全盛の時代に頭角を現わしたことで歌手としても評価を得た。 1980年代~90年代、人気タレントがドラマや映画に出演したり、歌を歌ったりするのは珍しいものではなかったが、どの分野でも強烈な印象を残した者はごく少数に限られる。とんねるずの芸風は、勢いづく右肩上がりの時代にあまりにフィットしていた。 木梨が還暦を迎えた2022年3月9日、ある配信番組のスペシャル企画でジグソーパズルをプレゼントされたという。その裏面には親しい関係者の祝福コメントが寄せられており、相棒の石橋が書いたのは「魂」の一文字。帝京高校の全ての部活に受け継がれる伝統的な言葉「帝京魂」の略で、試合をひっくり返すような場面で使われるものだったらしい。 2018年にコンビのレギュラー番組が終了し、長らく続いた公式ファンクラブも閉会。各々の活動が目立ち、木梨が個人事務所を構えたことで“とんねるず解散説”も浮上した。しかし、当人たちの関係性は出会った頃から変わっていないのだろう。 石橋は今年2月に投稿されたYouTubeの『貴ちゃんねるず』の動画の中で「カッコ悪いじゃん、(筆者注:もっと仕事したいって)ガッツつくの。いい歳こいて」と語っている。ただ、リアルタイム世代の視聴者からすると、久しぶりに奔放なとんねるずのツーショットを見てみたい。それほどに2人は、何ものにも代え難い魅力があるのだ。