「作家誕生」大田ステファニー歓人×豊崎由美『みどりいせき』
このほど、すばる文学賞を受賞してデビューした大田ステファニー歓人氏の『みどりいせき』が、第三十七回三島由紀夫賞に輝いた。 【関連書籍】『みどりいせき』
このほど、すばる文学賞を受賞してデビューした大田ステファニー歓人氏の『みどりいせき』が、第三十七回三島由紀夫賞に輝いた。 すばる文学賞の選考会で「文学の地平を切り拓いた」と高い評価を受けた本作品について、三島賞選考委員の松家氏は記者会見で「ジョイスやフォークナーがやっていたこと(文体実験)を大田さんなりに実現させてしまった」と紹介。そのひりつくような青春の物語は多くの人を魅了し、作家自身の真摯な発言やぶれない態度は支持を集め続けている。 『みどりいせき』に早くから注目してきた書評家の豊崎由美氏(「ざき」はたつさき)が作家と出会い、その誕生を寿いだ今年三月のジュンク堂書店池袋本店でのトークイベントを、再構成して載録する。 構成/長瀬海 撮影/隼田大輔
抑え付けてくる学校が嫌だ
豊崎 『みどりいせき』を読んで以来、作者の大田ステファニー歓人さんってどんな方なのかな、と興味津々でした。まずはお名前のことから伺ってもいいですか? これはペンネームですよね。どういう由来なのでしょう? 大田 そうっすね、実はすばる文学賞には本名で応募しようとしてたんですけど、変えました。「大田」はパートナーの苗字なんですよ。ちょうどその頃、結婚することになってたんで、彼女の苗字なくなっちゃうの悲しいなって考えて、それをもらった感じです。ステファニーは名前のステファノを可愛くしたくて変えた、って感じです。 豊崎 そうだったんですね。不思議なお名前だなぁと思ってました。少しだけ小さい頃のお話も聞かせてください。すばる文学賞の受賞者インタビューでお父さんが変わった人だって話してましたね。昔よく紙芝居を即興で語り聴かせてくれてたって。 大田 親父はチャリで街を徘徊するタイプの人だから、いろんな図書館を知ってたんです。子どもの頃は絵本の多い図書館によく連れて行ってくれたり、既製の紙芝居を使いながら、でも普通に読むこともあれば、裏に書いてある文章を読まずに自分で物語を作って聴かせてくれたり。 豊崎 お父さんは本を読む人だったんですか? 大田 本はめっちゃいっぱい家にありました。親父はクリスチャンでアクティビストだから政治色とか思想が強めの本棚で、小説といってもドストエフスキーとか遠藤周作とか、子どもにはちょっと難しいキリスト教文学作品ばっかりでした。親の持ってた本で自分が読めたのは百科事典とか『水木しげるの妖怪図鑑』とか、そういうのだけで。 豊崎 自ら活字の本を読み始めたのは何歳くらいからでしたか? 大田 うーん、何歳くらいだろう。小学校の図書館ではいっぱい本を借りてたっすね。すごく綺麗な図書館で、くつろぎやすいし、子どももとっつきやすい本がたくさんあったんですよ。インタラクティブな絵本や『かいけつゾロリ』とかを経て、活字だけの本では『三国志』を読んだ記憶があります。あとは漫画も充実してて、『はだしのゲン』や『漂流教室』を読みました。めっちゃ怖くて、トラウマだったっす。小学校はいい学校でしたね。中学校、高校はあんま好きじゃなかったけど。 豊崎 中学校、高校が好きじゃないっていうのは今回の小説にもつながるお話ですね。やっぱり学校という空間が性に合わなかったんですか? 大田 親の教育とは反対な場所だったのかもしれないっすね。うちはあんまり抑え付けるタイプの親じゃなかったんですよ。もちろん妹をいじめたり、行儀の悪いことをしたら叱ってはきますけど、基本的にはそんなに干渉する感じじゃなくて。 でも先生って、授業中に立ち上がったら座らせようとするし、喋ってたら黙らせようとするじゃないですか。なんで? って思っちゃうんですよ。生きてたら立つし喋んだろ、みたいな。なのに、周りの生徒たちはみんな言うこと聞いてて、反発してるのは自分だけ。先生もムカつくけど、そんな自分を変な目で見てくる同級生にもしんどさを感じてました。言うこと聞いておけばいいじゃんみたいな空気がすごく嫌でしたね。 豊崎 その気持ちはよくわかります。実は私も多動性気味なところがあって、授業中しょっちゅう席を立ってました。ただ私の先生はそんな嫌な感じの人じゃなかったから、私のことを叱りつけることはしなかったんですよ。代わりに何をするかというとね、定規で優しく頭を押さえてくれるんです。 教壇の一番前が私の指定席だったんですが、私がモゾモゾっと立ち上がろうとすると長い定規でそーっと(笑)。そうされるとこっちは「あっ、ダメなんだ」って気づくわけ。すぐ動いちゃう子どもって別に動きたくて動いてるわけじゃないんですよね。 いつの間にか立ち上がっちゃうだけで。だから先生が怒らずに注意してくれれば、ちゃんとわかる。大田さんの場合は、家族といるときは何も言われなかったのに、中学校に上がった途端にあれもダメ、これもダメって怒られるのが疑問で仕方なかったんでしょうね。 大田 そのショックで学校が嫌になったんだと思います。一度嫌になったら、ちゃんとしようって気持ちが一切なくなっちゃいました。あれが人生の転換点だったのかもしんないっすね。でも、大学に入って、ある先生が自分の授業はご飯食べたり歌ったり立ち歩いたりしていいから過ごしやすい格好で好きに受けてくださいって言ってて、その感じは好きでした。
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