「作家誕生」大田ステファニー歓人×豊崎由美『みどりいせき』
『みどりいせき』は“変”な小説
豊崎 今のお話を聞いてても、大田さんって文体家なんだなと思います。最初は勢いで書いたふしがあるけど、それを少しずつ直して、調子を作ってるっていうか。例えば、次の箇所。 水中の気泡が深いとこから浅いとこへと昇ってくよーに、死体に充満したガスがぼくを浮かびあがらせた。そんでぼんやりな意識が息継ぎみたいに水面から頭を出す。あー、まだ生きてることとか昼寝が気持ちいいとか当たり前のことに肺が膨らんで、肺胞に取り込まれた喜びみたいなのが血液に乗って全身を巡り、ぼくは息を吹き返す。じゅうぶんに満足したら息を止める。また潜水する。 全体的にこの小説の素晴らしさって、主人公が沈静したときの精神の状態とかその瞬間瞬間の身体感覚とか、そういうことを巧みに文体の変化で表現していることにあるんですよ。それってとても難しいことなんだけど、デビュー作にして大田さんがやり切ってるのは、本当にすごい。 その白眉がみんなで大麻をキメるシーンです。あの感覚描写を平仮名で押し切ってますよね。最終的にタイポグラフィーみたいに文字の配列を換えたりもしてて、あそこからは「ぼく」の高揚感がありありと伝わってきました。ただ、それだけじゃなくて、ところどころでお父さんのことを思い出したりして、正気の部分がどこかにあることもちゃんと書き込んでいる。 大田 薬物による変性意識は深層心理の顕在化と捉え、正気を残しました。 豊崎 そう。その正気の混じらせ方も素晴らしい。何よりこの作品は全体的に“変”なんですよ。私は“変”なものを見つけると、まず尊敬するんです。なぜってそれは自分にはないものだから。“変”なものは自分の価値観の埒外にあるもので、好きとか嫌いとか関係なくそれを見つけた自分のことを深く揺り動かすんです。私は『みどりいせき』のページをめくっていたとき、これはすっごい“変”だと思ったから安心して読めたんです。 大田 わわっ、ありがとうございます。 豊崎 だって、普通の感覚だったら“変”なものって書けないんですよ。常識とか理性が制御しちゃうわけで。でも、この作品はそういったものとせめぎ合いながら生まれた感じがして、それがとても良かった。 大田 ごみ収集の仕事をしながら書いてたんですけど、そこへ転職する前の会社では一応、社会と折り合いつけようと思ってたんです。でも、肉体労働の業界って割と自由でおおらかで。一緒に暮らしてるパートナーも、遊んでくれる友達も、もともと自分の自制心の無さを受け止めてくれるタイプで、周りにいるのがだらしない自分のありのままの姿を受け入れてくれる人たちばっかなので、感覚がぼけちゃって、それが書いたものに反映してるのかもしんないですね。 豊崎 なるほどね。自他の境界が曖昧な感じなんですね。 大田 そうなっちゃいました。もし変だったら声かけて、みたいな感じでふだん過ごさせてもらってるんで、ふわふわしたものを書いてても自分で気づかないのかも。それくらい自由に生きさせてもらってます(笑)。 豊崎 あと、特徴的なのが擬音。この小説は擬音が多いんですよ。 大田 それは結構自覚的に書きました。子どもたちの話だから、語彙を選ぶのがやっぱ難しいんですよ。擬音じゃなく端的に表現できるところはたくさんあるんですけど、この主人公の言葉遣いじゃないよなって。あと、コロナ禍が始まってから、自分、なんかわかんないんすけど、言葉が全然出てこなくなって。擬音で喋ってることが多いんです。そういうのも反映されてるんだと思います。言ってみたらコロナ禍文学ですね(笑)。 豊崎 コロナ禍文学にもいろんなものがありますからね(笑)。
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