【毎日書評】一喜一憂しない生き方を手に入れる「愚直さ」と「謙虚さ」のための行動指針
自分に任された配役(Part)を知り、最善を尽くした人の舞台には、拍手喝采が送られるもの。逆に、自分の配役に不誠実に臨んだのなら、舞台から退場させられてしまうかも……。 重要なのは、演劇の幕が下ろされるまでは、まだ終わったわけではないということ──。『たった一度でもすべてをかけたことがあるか』(チョン・ソンミン 著、吉川南 訳、ダイヤモンド社)の著者は、そのように述べています。 シェークスピアは、人生を7幕に分けましたが、誰にでもまだ始まっていない新しい幕が待っています。過去の失敗と後悔は忘れましょう。2000年以上も昔の哲学者セネカは、『心の平静について』で、妄想ではなく目標に向けて集中せよと勧めます。 「すべての努力を1か所に集中しましょう。そして、その目標を常に目で見られるようにしておきましょう。私たちを邪魔するのは人間の仕業ではなく、妄想なのです。」(「プロローグ」より) そして、人生の主人公はほかでもなく自分であることを肝に銘じるべきだとも著者は主張しています。たしかに、他人が自分の代わりに生きてくれることはありませんし、代わりに責任をとってくれるわけでもありません。つまり、自分が選択し、自分が行動したままに、人生は決まるということ。 人生でただの1回でも、すべてをかけてみたことはありますか? 後悔なく、すべてをかけて、人生の新たな幕を開けましょう。(「プロローグ」より) こうした考え方に基づく本書のなかから、きょうは第4章「1日や2日のことではないから、一喜一憂するのはやめよう」内の「『愚直さ』と『謙虚さ』のための5つの行動指針」に注目してみたいと思います。
1. 問題の責任は自分にあることを自覚する
人間は誰もが他人から認められたいと思っています。心理学者のマズローが指摘したように、基本的な生理的欲求と安全の欲求が充足されると、次は他人から認められたいという社会的欲求と承認の欲求が誘発されるのです。(185ページより) 自分の誤りをなかなか認められないのは、他人から悪くみられるのが心配だから。そのため自分の間違いを探すよりも、言い訳を考えることを選択してしまうわけです。 とはいえ、問題の原因を「自分」ではなく「他人」や「環境」のせいにするのはよくない習慣。言い訳をするよりは、自分の誤りを認めるほうが、はるかにいいはずです。 だから、忘れないようにしましょう。あなたがやったことの責任は、まず「自分」にあるということを。言い訳はやめましょう。自分のミスはただちに謝罪し、状況を改善するために努力すれば、誰もあなたを責めることはありません。むしろ謙虚で正直な人だとみられるでしょう。(186ページより) 過ちを犯さない人はいません。いるのは、自分の過ちをすぐに認めて謝れる人と、他人や環境のせいにする人だけ。どちらを選ぶべきかは、火を見るより明らかでしょう。(185ページより)