改めて振り返る、アメリカ大統領暗殺未遂事件の歴史
1881年7月2日:ジェームズ・A・ガーフィールド
犯人:チャールズ・ギトー 襲撃方法:ピストル 場所:ワシントンD.C. 事件の内容:就任からわずか数カ月後に銃で撃たれ、アメリカで2番目に暗殺された大統領となったジェームズ・ガーフィールド。彼は、ボルチモア・ポトマック駅でチャールズ・ギトーに銃撃され、当初は一命を取り留めたが、9月19日に死亡。 ギトーは「不満を抱えた公職志望者であり、共和党内の反対派閥の支持者」だったという。近日配信予定のNetflixドラマ『Death by Lightning』では、ガーフィールド大統領暗殺の物語が描かれている。
1901年9月6日:ウィリアム・マッキンリー
犯人:レオン・F・チョルゴッシュ 襲撃方法:ピストル 場所:ニューヨーク州バッファロー 事件の内容:ウィリアム・マッキンリー大統領はバッファローで演説をした後に、無政府主義者のレオン・F・チョルゴッシュに至近距離から胸部を撃たれた。大統領はその1週間後に死亡。チョルゴッシュは有罪となり1901年10月にニューヨーク州によって処刑された。
1912年10月14日:セオドア・ルーズベルト
犯人:ジョン・シュランク 襲撃方法:ピストル 場所:ウィスコンシン州ミルウォーキー 事件の内容:ミルウォーキーで選挙活動をしていたセオドア・ルーズベルト大統領は、演説を始めるとすぐジョン・シュランクにより銃で撃たれたが、胸ポケットに入れていた50ページに及ぶ演説原稿と金属製メガネケースのおかげで致命傷を回避した。 ルーズベルト大統領は、「皆さん、私がたった今撃たれたことをお気づきかどうかはわかりませんが」と述べ、シャツのボタンを外して演説原稿を取り出し、こう語った。 「(この程度では、ブル・ム―ス党(自身が所属していた進歩党の別名)は死にません。幸いにも私は原稿を入れていました。見ておわかりの通り、長いスピーチをする予定でした。弾丸は、これを貫通していきました。おかげで心臓への直撃を免れることができました。弾丸は今私の体内にありますので、あまり長いスピーチはできませんが、最善を尽くします」 写真:1912年10月、支持者たちに挨拶しながら微笑むルーズベルト。