なぜSF小説原作の映画はヒットが多い? SFジャンルの世界観、小説の“余白”が鍵に
■時代とともに原作映画化に“敏感”になっていく昨今「コアなテーマを変えるのはだめ」
一方で、映像になったことでより原作の面白さが引き出された作品もある。 「例えば『マイノリティ・リポート』もそうですが、フィリップ・K・ディックの作品は短編もいくつか映画化されています。中には20ページくらいの短編から2時間の映画になっているものも。実際に映画化された作品には、作者が一番伝えたかったメッセージと設定くらいしか残っていないものもあります。余白を埋める作業というか、原作の設定からいかに面白い作品に仕上げられるかは製作者側の力量にかかっている。意外にも短篇を映画化した作品には良い映画が多い気がしますね」(清水氏) 「少し質問とはずれますが、『2001年宇宙の旅』は、映画だけではよくわからないですよね(笑)。原作を読むと『こういう話だったんだ』と理解できるのでぜひ読んでみてほしいです。そもそもこの作品は小説家であるアーサー・C. クラークと映画監督のスタンリー・キューブリックが話し合いながら作品を作っていったという特殊な経緯があります。最終的には喧嘩別れしたとされていますが、小説にはちゃんと作家がやりたかったことが活かされているし、映画には監督がやりたかったこと活かされている。両方とも観て、読む意義がある作品だと思います」(山口) アーサー・C・クラークとスタンリー・キューブリックのように小説と映像での自由度や表現の違いがよい方向にいかされる場合もあるが、昨今は原作と少しでも異なるメディアミックス作品は批判的に見られることも多い。 「小説やマンガは時間的制約がないですが、映画だったら、たとえば2時間前後で収めないといけないので、全部忠実にやるのは難しいケースも出てきます。あらすじをなぞるだけでは決して面白くはならないので、何かしらの改変は必要になってくる。そのためには原作者と密にコミュニケーションをとらないといけないという流れはあります。 ハリウッドだと、原作があっても、映画は映画監督のものという意識がありますね。日本は監督と原作者のあいだのものという感じでしょうか。そこが難しいところです。とはいえ、コアなテーマを変えるのはやっぱりやったらだめだと思います。ただ、昔の原作だとやっぱり今の価値観にアップデートして直すっていうのはかなりやってますよね。それは必要な改変なのではないでしょうか」(山口氏) (取材・文/原智香)