『オッペンハイマー』:被爆者イメージと向き合えなかった「加害者」
■『オッペンハイマー』は、アメリカについての寓話
エピメテウスは「後から考える者」の意だ。高揚する感情と虚栄から、原爆の使用に賛成してしまったオッペンハイマーは、後になってその選択について苦悩し、「殉教者」になることすらできない。ノーラン監督が意図的に行ったかどうかは別として、この映画のオッペンハイマーは、プロメテウスという自他共に認める英雄の表象だけでなく、エピメテウスという、プロメテウスとは相反する愚者の表象としても解釈できるように描かれている。 そしてこのプロメテウスとエピメテウスという表裏一体の兄弟は、オッペンハイマーという人物を通して、これもまたアメリカそのものを表象しているとも解釈できる。アメリカは先んじて核を人類にもたらし、その結果到来した「核の時代」の諸問題に後になってから苦悩しているようにみえる。 それでもまだアメリカは、世界最大の核保有国であることを誇り、核抑止力の正当性を主張している。しかし、その自信は思いのほか強固なものではないのではないか。つまりそれは被爆者の存在を抑圧することによって成り立っており、抑圧のタガが外れ被爆者が前景化してきたとき、白い光につつまれてあっさりと熔解してしまうのだ。映画『オッペンハイマー』は、そのことを示唆する寓話なのであった。
藤崎剛人(ブロガー、ドイツ思想史)