大合戦絵図なぜ描かれた?八尾で「大坂の陣」400年特別展
大坂夏の陣の激戦地となった大阪府八尾市の市立歴史民俗資料館で、大坂夏の陣400年記念特別展「八尾地蔵常光寺」が開催され、天下分け目の合戦にまつわる貴重な史料が多数展示されている。伝統寺院に伝わる巨大な合戦絵図は、誰のために、なぜ描かれたのか。大坂の陣後の政治の構図や民衆の姿まで浮き彫りになってくる。期間は15日まで。
藤堂家臣団の慰霊法要が連綿と続く
常光寺は1300年代、南北朝期の創建で、河内音頭発祥の地として名高い。毎年8月の地蔵盆では、境内に河内音頭の名調子が響きわたる。臨済宗南禅寺派の禅寺だが、古くから宗派を超えて八尾の人たちの心のよりどころになっており、大坂夏の陣に関する史料が多数残る。今回の特別展は夏の陣関連の代表的史料を一堂に鑑賞できる貴重な機会だ。 今から400年前の1615年。和睦に終わった前年の冬の陣に続き、豊臣方と徳川方が激突した夏の陣。5月6日、河内の八尾、若江、道明寺一帯が広大な戦場と化した。激戦となり、両軍とともに主力武将が戦死するなど、消耗が激しい。 翌7日、豊臣方が最後の総攻撃を敢行するものの、戦力で上回る徳川方が勝利。翌8日、落城した大坂城内で秀頼が自害して豊臣家が滅亡。徳川家が長期政権樹立へ歩み始めた。 常光寺は夏の陣後、徳川方武将藤堂高虎の戦死した家臣71名を慰霊する藤堂家の菩提寺となる。江戸中期から幕末期にかけて、百回忌、百五十回忌、二百回忌、二百五十回忌が連綿と営まれた記録が残され、法要は今も続く。
徳川政権の幕閣が常光寺を参拝
会場でひと際目を引くのは、常光寺所蔵の巨大な「大坂夏の陣図」。129センチ×116センチ。天下分け目の合戦を記録した絵図がなぜ、伝統ある寺院に伝わっているのか。小谷利明館長は「常光寺が『大坂の陣後の靖国神社』に相当するからです」と指摘する。 「老中や大坂城代などの幕閣が常光寺を参拝し、藤堂家の戦死者ばかりではなく、大坂の陣全体の戦没者を慰霊した。その際、寺側が夏の陣図を広げて、合戦の状況を分かりやすく説明したと考えられます。徳川政権にとって、政権が安定した後も、大坂の陣の徳川方勝利によって、平和が訪れたことをしっかり認識し継承する必要があった」 絵図では遠く大和の山並みが描かれ、河内の若江、八尾を舞台の中心に設定。西北には大坂城も確認できる。鳥の目で俯瞰(ふかん)したような壮大な合戦図を目の前にし、身を乗り出して解説に聞き入る武将たちの姿が目に浮かぶ。 そのほか、同様に夏の陣合戦の模様を伝える「元和元年五月六日河州八尾表若江表軍場図」や、藤堂景虎坐 像、藤堂家七十一士位牌、進軍する軍隊が寺や村を荒らさないことを約束する文書「徳川家康禁制」なども展示されている。