大合戦絵図なぜ描かれた?八尾で「大坂の陣」400年特別展
八尾に家康のブレーン以心崇伝あり
特別展の一環として、原田正俊関西大学教授が「以心(いしん)崇伝(すうでん)と常光寺」をテーマに講演。崇伝は臨済宗南禅寺派の禅僧で、徳川家康のブレーンとして初期徳川政権の躍進に貢献した。法務に精通し武家諸法度の草案を作成するなど、大名にもにらみをきかせる実力者だった。 崇伝は破格の出世を重ねながら、派遣した弟子を通じて常光寺を統括し、八尾に拠点を構える。東西両陣営の対立が深まる中、徳川方ばかりではなく、豊臣方とも接触し、揺れ動く政治状況の情報収集に余念がなかった。 夏の陣後は、藤堂高虎から依頼を受け、戦没家臣団の戒名を授与。地元で営まれた戦没者の魂を鎮める施餓鬼を主導した。原田教授は「常光寺の以心崇伝によって、大坂の陣前後の八尾が、中央政治と密接にかかわっていた歴史の奥深さを知ってほしい」と語りかけた。
大軍勢の長期駐留が後に洪水を誘発
自身が武将になりきって戦国絵巻をひもとくのが歴史ファンのだいご味だが、小谷館長は「合戦が終わった後も地元で生き抜く民衆の視点から、歴史を見直してほしい」と説く。 「大坂の陣後、大和川が何度も洪水を引き起こす。冬の陣で豊臣方のろう城作戦に対抗するため、徳川方の10万人もの大軍勢が長期間駐留。河内一帯の山の木を伐採し、煮炊きをして暖をとった。さらに夏の陣後、村の復興に向けて、破壊された家屋の再築などで木を伐らざるを得ない。山の持つ保水能力が弱まって洪水が発生し、民衆を苦しめた」(小谷館長) やがて曲がりくねっていた大和川を大阪湾と直結させる大改修工事が行われた。洪水被害は緩和されたものの、川や沼とともに醸成されていた河内の水の文化圏は乾いた畑地の光景に変わった。小谷館長は「大坂の陣は河内文化の歴史的転換点になった」と、指摘する。視点を変えると、歴史は新しい気づきを与えてくれそうだ。 期間は15日まで(火曜日休館)で開館時間は午前9時から午後5時(入館は午後4時半まで)。観覧に関しては通常は有料だが15日までは無料観覧サービスを実施している。詳しくは八尾市立歴史民俗資料館(072・941・3601)まで。 (文責・岡村雅之/関西ライター名鑑)