喘息持ちの虚弱体質が「ひと冬で10kg増」に成功!元ガリガリのアメフト選手の肉体改造術
“バカ” が付くほど何かに没頭できれば人生は楽しい。佐藤俊介さんは、幼少時代の虚弱体質を克服する過程でトレーニングバカになったひとりだ。 ▶︎すべての写真を見る
細身の体型からひと冬で10kgも増やした肉体改造の秘訣や、50歳を目前にした同世代に送る「下半身集中トレーニング」のススメを聞いた。
人とは違う体の弱さ。小児喘息に悩まされた幼少期
――意外ですが、もともとは虚弱体質だったそうですね。 小児喘息だったので、高校2年生までは毎年、季節の変わり目に学校を休む生徒でした。小さい頃から、人とは違う体の弱さを感じていましたね。 肺活量を上げるために幼稚園の頃はスイミングスクールに通い、体づくりをするために小中高を通して野球をやっていたんですけどね。 ――喘息持ちなのに、運動を欠かすことはなかったのはなぜですか。 弱いことがコンプレックスで、強くなりたかったんでしょう。でも、教室にある黒板消しの粉にさえ反応して発作が出るときもあって、学校の手すりを使ってなんとか階段を昇ることもありました。 体重は高校生で60kgあるかないか、ずっとガリガリでしたね。 ――高校卒業後は? 大学では体を鍛えたくてアメフト部に入りました。本当はボディビル部に入りたかったんですけど、なかったので。とはいえ、結局アメフトに入ったことで人生は変わりました。選手生活も32歳になるまでずっと続けたんですよ。
担架で運ばれたアメフト選手の屈辱的な過去
――アメフトをやる頃には、虚弱体質は改善されていたんですか? 小児喘息は基本的に成人すれば消える症状なんです。だから、大学生になる頃にはたまに発作が出る程度でした。でも、体型がガリガリなのは変わらずで。 アメフトの場合、カロリーをしっかり取って当たり負けしない身体を作る必要があるのに、当時の私のトレーニングはどちらかというとボディメイク寄りでした。体型管理のために食事を摂生したりして、体重の上げ下げを繰り返していたんです。 それが仇となり、ある日、良からぬ結果を招くことに……。 ――というと? アメフトの試合中に足を骨折しちゃったんですよ。 ――食事の摂生が原因なんですか? それもあったと思います。不謹慎な言い方かもしれませんが、アメフトって体当たりでぶつかったら、どこかで「やってやったぜ」って威張るような競技なんですよ。だから骨折して担架で運ばれる自分の姿は非常に屈辱でした……。その瞬間にスイッチが入ったんです。 ――肉体改造のスイッチですか? そうです。アメフト部にもストレンスコーチがいて、ビッグ3(ベンチプレス、デッドリフト、スクワット)を中心に週3回はトレーニングはしてたんです。パフォーマンスアップのための自重メニューも取り入れていました。 でも、それだけじゃ足りない。もっと設備の充実したところに行こうとトレーニングジムへの入会を決意しました。 担架で運ばれた悔しさがふつふつと燃えたまま、松葉杖でジムに行きましたね。到着する頃には手の平の皮が剥けていたのを覚えています(笑)。 ――ジムではパーソナルトレーナーに付いてもらうことに? はい。当時はまだパーソナルトレーナーは知る人ぞ知る存在で、今ほど数もいませんでした。たまたま担当してくれた女性トレーナーは海外でも名の通っていた人で、僕に必要なメニューを作ってくれたんです。 この日を境に体がみるみる変わりましたね。ひと冬で体重は10kgも増え、82kgになりました。