バレエ界のエリートからアイドルに、秋元康P “WHITE SCOPIONのACO”が誕生するまで
9月8日に初ワンマンライブ『初撃。』を開催し、9月11日に1stミニアルバム『Caution』を発売したWHITE SCORPION(以下、ホワスピ)。今回はその中でも、幼少期からクラッシックバレエのエリートとしてグローバルに活動した後、アイドルになったという経歴を持つACOに、これまでの歩みを語ってもらった。(前後編の前編) 【写真】オフショットも、バレエのエリートから転身したACO【6点】 ──3歳からバレエを始めたとのことですが、きっかけは何ですか。 岡山に住んでいたんですが、通っていた幼稚園で放課後にバレエ教室が開かれていて、母の勧めで始めました。3歳ながら体験に行った時に、先生に気を遣って「やりたくない」と言えなくて、しぶしぶやることになりました(笑)。 ──バレエでは華々しい受賞歴があるそうですね。 中国地区大会や、全国から若手バレエダンサーが集まる『京都バレエコンクール』で2位を頂きました。受賞歴もですが、個人的にはどんなステージに立つかを重視していて、新国立劇場で毎年行われる『全国合同バレエの夕べ』というステージにも立たせていただきました。 ──バレエを続けながら、どんな学生生活を過ごしていましたか。 ずっとバレエ漬けだったので、学校では疲れていつも寝ていました(笑)。友達といる時はワイワイしていましたが、授業が終わるとすぐにバレエに行って、帰ったらすぐに寝るというちょっとハードな学生生活でした。 ──高校時代に、バレエの留学権も獲得されたとのこと。具体的にどんなことをして、何を感じましたか。 ポーランドに1ヶ月ほど行って、現地の色々なバレエ学校の方たちと一緒に作品を創り、ポーランドを周る公演に参加しました。日本人とヨーロッパの方って生まれ持った体形が違うので、現地の先生に指示されたことも、日本人の体形では難しいことが沢山ありました。その中でも、どうやったら綺麗に見えるかというのを探っていましたね。 ──そのまま海外でバレエ活動することではなく、国内でアイドルを目指したのはどんな経緯があったのでしょうか。 外国で暮らしてみて凄く素敵だったんですけど、日本食が恋しくなってしまって。ただ、国内でプロのバレリーナになるには身長の壁があり、断念しました。一旦バレエを辞めて大学に通ったんですけど、目標を見失い、人生に覇気が出なくなってしまったんです。そんな時、ずっと大好きだった乃木坂46さんのような舞台に立つ仕事がしたいと思い、オーディションを受けてみました。