オズワルドが感じる「大人になった悲しみ」とは?『映画クレヨンしんちゃん』最新作ゲスト出演で確執も
30代中盤の二人が感じる「悲しさ」と、理想的な年齢の重ねかた
─お二人が『クレヨンしんちゃん』から受けた影響を教えてください 伊藤:「面白いってすごいな」っていう。子供のころ見たもののなかで一番笑ったのが『クレヨンしんちゃん』で、楽しくてとかじゃなく「面白くて笑う」という感覚を初めて味わわせてくれました。子供のころに転んだり、屁をこいたりして笑うことがあっても、アニメや映画のような、見る媒体でこんなに笑ったのは『クレヨンしんちゃん』が初めてです。 畠中:一見情けないひろしやガミガミうるさいみさえにも子どもに対する愛がすごくあるのは、大人になって改めて感じました。理想の家族像という意味で影響を受けています。 ─幅広い世代に刺さるのも『クレヨンしんちゃん』の特徴ですが、ネタづくりのときに世代を意識されることはありますか? 畠中:意識できたらなとは思いますね。どんどん自分の年齢が上がってきて、自分らが楽しいとか面白いと思っていたものが、いまの20代の子にまったく通じないこともあるんで、そこはもっと歩み寄れたらなと。 伊藤:後輩がネタのなかで「InstagramやYouTubeの広告のあるある」みたいなことをやってめちゃめちゃウケてるのに、自分はまったくわからないような瞬間は「怖っ」て思いますね。 ─作中では、年齢や自分の積み重ねてきた実績に縛られる大人の姿も描かれています。お二人はいま30代中盤ですが、若手の頃と比べて縛られていると感じるような経験はありますか? 伊藤:このあいだ漫才対決をチーム戦でやったんですよ。うちのチームに後輩でめっちゃ脂が乗ってる芸人がいて、そいつらは勝ったけどチームの他のメンバーは俺らも込みで全組負けたんです。 こいつら脂乗ってるな~と思いながら帰りのバスで窓に映る自分を見たら、「JIL SANDER」って書いてあるTシャツ着て、プラダの財布を背負ってたんです。「恥ずかしい!」と思って。別に縛られているわけじゃないですけど、あらためて漫才もめちゃくちゃ頑張らないとなと思わせてもらいました。 伊藤:あと、小さなことで喜べなくなったなと思います。先輩に焼肉に連れていってもらうとき、昔なら指笛吹いて喜んでたのに、いまは「ちょっと油っこいな」とか思ってしまって。黙って白飯をバカみたいに食ってりゃいいのに「カルビとか、ちょっと脂っこくて……」とか、悲しくなりますよね。 畠中:昔はお金がなくて、ラーメンのトッピングもない一番安いやつを、大盛り無料だったら大盛りにして食べて喜んで、いつかこれに半チャーハンをつけたいなと思っていました。いまは半チャーハンもつけられるようになったんですが、もうチャーハンがお腹に入らないんですよ。ラーメンで十分お腹いっぱいになってしまうという悲しさ。 ─今後はどのように年を重ねていきたいか、理想の大人像があれば教えていただきたいです。 伊藤:(『こちら葛飾区亀有公園前派出所』の)両津勘吉みたいになりたいですよね。毎日楽しそうじゃないですか。お酒飲んで、いっぱい楽しいことも知ってて。毎日愉快に過ごしたいですね。 畠中:振り返ったときに後悔しないようにしたいなと。別にいまのところ後悔はないので、今後もそのまま行きたいなと思っています。 ─今作ではさまざまな形で「親」と「子」の関係も描かれています。お二人はどんな親になりたいですか? 伊藤:自分が親になるのはまったく想像がつかないです。俺みたいなのが子どもを育てていいわけないだろうって、いまは思っちゃいますね。 子どもを育てる人って、子どもを育てる才能があったから産んだのか、子どもが生まれてから才能を手に入れたのか、わからないけど尊敬しています。他人の子どもはかわいいと思いますけど、やっぱり他人の子供なのでいじくるだけいじくったら返せるじゃないですか。その後のことを考えると、教育なんて想像もつかないというか。 畠中:自分の親がなんでも反対せず、好きなことをやらせてくれてたので自分もそうしたいですが、「よく噛む」ということだけは子供の頃から教えたいと思います。 ─しんちゃん一家のような理想的な家庭がある一方、子どもを縛りつけてしまう親など、さまざまな親子のかたちがあると思います。親との関係性に悩んでいる人へのアドバイスがあれば教えていただきたいです。 伊藤:その立場になったことがないのでわからない部分もありますが、「18歳までどうにか辛抱してくれ」と思います。そこからは親がいなくても生きていけるし、親は絶対的なものではないので。 畠中:子どものころは身の回りの世界しか知らずに生きていくことになるので、それが当たり前だったり、抜け出せなかったりする人もたくさんいると思います。友達や本、映画、テレビのなかでもいいのでほかの家庭と比べてみて、自分の家庭が変だと気づくきっかけがあったらいいと思います。 いろんな家庭環境の人が混じり合って社会になっていて、絶対に自分が生きる場所はあると思うので、それを探してほしいです。