「お金で生活が穢れていく」…生き方を変える決意をした「ミニマリスト」が「お金のない生活」をしてわかった「ほんとうの真実」
自己啓発としてのミニマリズム
マーク・ボイルのドン・キホーテのような「無銭生活」を実践しようとするひとはほとんどいないだろうが、(ボイルと同じ)1979年生まれの佐々木典士は、必要最低限のモノだけで生活する、より現実的なミニマリズムを提唱している。 出版社で働くようになって10年目の佐々木は、「仕事から帰ってくると、まず服を脱ぎ散らかす。洗面ボウルが割れたまま修理していない浴室で、シャワーを浴びる。撮り溜めたテレビ番組や、たくさん借りてきた映画を見ながらビールのロング缶を1本空ける。次はワイン。ワインを1本飲みきっても足りず、酩酊しながらコンビニに駆け込むこともたびたびあった」という生活にどっぷり浸かっていた。 入社当時の「価値観自体を問える仕事」をしたいという熱い気持ちはいつしかすっかり冷え込んで、人生のすべてを言い訳していた。 朝起きられないのは、夜遅くまで働いていたから。太っているのはこういう体質。満足でない給料のせいで広い部屋に引っ越せない。もっと恵まれた環境なら、ぼくも本気を出せるはずなのに。収納が少ないからモノが散らかってもしょうがない。広い部屋に住めさえしたら、ぼくもきっと片付けるはずだ。 そんな生活を続けているうちに、佐々木はモノを維持・管理するために時間もエネルギーも使い果たしているのではないかと考えるようになった。こうして、人生を変えるためにモノを手放すことを決断する。 本と本棚、食器棚と雑貨、服、広すぎる机とテーブル、42型のテレビなどを捨て、写真や思い出の手紙をすべてスキャンしてミニマリストになった佐々木は、生活を楽しみ、自由と解放感を感じ、健康で行動的になり、人間関係も変わって「今、ここ」を味わえるようになるなど、さまざまなポジティブな変化を体験する。 佐々木以前にも、「断捨離」「シンプルライフ」「ノマドワーク」など、モノやしがらみを捨てるという提案は日本社会で広く受け入れられていた。近藤麻理恵の『人生がときめく片づけの魔法』がベストセラーになったのは2011年で、その後、「こんまり現象」はアメリカにまで広がった。 佐々木の新しさは、こうしたさまざまな潮流を「自己啓発としてのミニマリズム」に再定義したことにあるのだろう。 マーク・ボイルは「お金のいらない生活」を目指したが、佐々木は「モノが必要ない生活」を提案した。両者に共通するのは、かつては幸福の象徴だったものが、いまでは自分たちの人生を蝕んでいるという感覚だ。だからこそ人生を(あるいは世界を)変えるために、それらを捨てなければならないのだ。 さらに連載記事<「トランプ再選」に落胆する「リベラル」がまったく理解していない、世界中で生きづらさを抱える人が急増した「驚きの原因」>では、人生の難易度が格段に上がった「無理ゲー社会」の実態をさらに解説しています。ぜひご覧ください。
橘 玲(作家)