「お金で生活が穢れていく」…生き方を変える決意をした「ミニマリスト」が「お金のない生活」をしてわかった「ほんとうの真実」
ふつうに生きていたら転落するーー! あまりに残酷な「無理ゲー社会」を生き延びるための「たった一つの生存戦略」とは? 【写真】「お金で生活が穢れていく」ミニマリストが「お金のない生活」でわかった真実 作家の橘玲氏が、ますます難易度の上がっていく人生を攻略するために「残酷な世界をハックする=裏道を行く方法」をわかりやすく解説します。 ※本記事は橘玲『裏道を行け』(講談社現代新書、2021年)から抜粋・編集したものです。
「無銭生活」で幸せになれるか?
1979年生まれのマーク・ボイルは、2007年にイギリスでフリーエコノミー(無銭経済)運動を創始し、翌08年の「国際無買デー」から1年間、お金をいっさい使わずに暮らす実験を行なった。 オーガニック食品の会社で働いていたボイルは、そこが「サスティナビリティ(持続可能性)の楽園」でないことに落胆し、より倫理的な生き方をしたいと考えた。ボイルがなぜ「無銭生活」という過激な実験を始めたかは、売春(売ること)とセックス(与えること)の比喩で説明される。 愛するひととのセックスが無上のよろこびなのは、そこに金銭がかかわらないからだ。それに対して、セックスのあとに1万円の現金を渡すと、愛はあとかたもなく消えて売春というビジネスになってしまう。だとすれば、お金のない生活では純粋なよろこびだけが得られるのではないだろうか。 同じことを市井の社会学者ジェイン・ジェイコブズが、『市場の倫理 統治の倫理』ですでに論じている。統治の倫理は愛憎を含む権力ゲーム(政治空間)で、市場の倫理は金銭を介したドライな関係(貨幣空間)だ。これはどちらが優れているということではないが、2つの倫理を切り分けないと社会は混乱するとジェイコブズは警告した。 市場の倫理に政治が混入すると、ネポティズム(縁故主義)や汚職・腐敗のようなことが起きる。その一方で、統治の倫理に貨幣が混入すると大切なものが「穢れて」しまう。 これは愛情や友情が「かけがえのないもの(プライスレス)」だからで、値段(プライス)のつけられないものを金銭に換算すると「恋人」は「売春婦」に変わる。わたしたちはお金を欲しながら、同時にお金を「汚い」と感じているのだ。 とはいえ、ボイルが主張するように、お金(貨幣空間)が諸悪の根源で、お金のない世界(政治空間)が無条件に素晴らしいとはいえない。 なぜならそこは、愛情や友情に満ちているわけではなく、憎悪や嫉妬、権謀術数が渦巻くベタな人間関係でがんじがらめになったムラ社会でもあるからだ。 近代というのは、わたしたちが息苦しい共同体(コミュニティ)を捨てて、モノやサービスを貨幣と交換するドライな関係(市場経済と資本主義)を望んだからこそ生まれたのだ。