「僕を地獄に落とすんですか」田尾安志はなぜ“最下位確定”だった楽天の初代監督を引き受けたのか?〈球団創設20年〉
当初は蜜月関係にあった田尾と三木谷オーナー
会談は長時間に及び、そろそろ席を辞そうとしたとき、キーナートは、突如、最後に監督のオファーを出してきた。一部、報道によれば、船出の難航が確信されていた楽天はすでに阪神OBの掛布雅之に監督の依頼をしていたが、条件面が折り合わず、断られていた。 田尾もまた突然の要請に驚くと同時にその場で本音で答えた。 「僕は今、本当に幸せな人生を送ってるんですよ。そこから地獄に落とすんですか」 野球は何があるか分からない、勝負ごとに絶対は無いとは言われるものの、プロの評論家だからこそ、そんな成句が陳腐に聞こえてしまうほどに、楽天は戦う前から絶望的に戦力が劣っているチームであることは分かっていた。 そこに指揮官として踏み込めば、一年後には、自身に最下位球団の監督というキャリアが加わってしまうことは自明であった。 当時の田尾はテレビのキャスターとしても好評を博しており、一軍の打撃コーチクラス以上の年収が保証されていた。楽天から提示された契約金や年俸は、それに遠く及ばないものであった。 固辞すると、即座に上乗せされた金額が、送られて来た。足元を見られている感じだった。もとより礼を重んじる一徹居士で、王貞治監督直々にダイエーホークスのコーチの誘いを受けたときでさえ、現状の仕事を優先させるために、あえて金額を聞かずに断った田尾である。 それだけに交渉は、このまま破断になると思われていた。 ところが、田尾はキーナートに会ってから5日後には監督就任の記者会見の席上にいたのである。なぜ引き受けたのか。いかなる心境で何を考えていたのか。今、19年前をこう回顧する。 「楽天が絶対に最下位になるのは分かっていましたが、結局、誰かが拾わなくてはいけない火中の栗なら、自分がやってみることに意義があるかと思ったんです。ゼロから球団を作りあげるという意味では、得難い経験で、そこで理想の球団ができるのなら、お金を払ってでもやる仕事かもしれないと。 オーナーの三木谷(浩史)さんに『メジャーみたいにユニフォームに企業名を入れないのはどうですか』と地域密着を提案したら、『面白いアイデアですね』と言ってもらえたのも大きかったです。何より、我々の代で作った選手会労組がしっかりと闘って勝ち取った12球団と2リーグ制じゃないですか。それで生まれたチームを大切にしないといけないとあらためて思ったわけです」 当初は蜜月関係にあった田尾と三木谷だが、それは長くは続かなかった。 #10へ続く 取材・文/木村元彦
木村元彦