“飲むとすぐ楽しくなるタイプ”の看板娘が、仕事でもラクロスでもパッションで支持されていた
前回は大学時代にラクロス部で汗を流していた看板娘だった。 今回は大学時代から社会人の現在もラクロスに打ち込んでいる人物。しかも、ラクロスは2028年のロサンゼルスオリンピックで正式種目に採用されたというから詳しく話を聞きたい。 【写真20点】仕事にもラクロスにも「パッション全開」の看板娘を写真で見る 向かったのは港区の北青山だ。
エレベーターで4階に上がる。
訪れたのは企業の広報・PR業務を請け負う「ネタもと」。奥に進んでフロアを覗くとーー。
さっそく、ご登場いただきましょう。
営業部でシニアマネージャーを務める志村咲季さん。 出身は東京・立川で、子供の頃は夏休みに家族で千葉の海に遊びに行くのが恒例行事だったという。
中学高校時代はバスケットボール部でポイントガードとして活躍。さらに、高校卒業後は都内の体育大学に進学、ラクロスに打ち込む。 「選手としての面白さもありますが、ラクロスは監督もコーチもいないことが多かったので、戦術の立案から大会の運営まですべて学生が中心となって行うんです。 私はディフェンス面での技術幹部として、戦術やメンバー構成を考えたりしていました。主体性を持って自分で考えるという姿勢は社会人になってからも活きていますね」。 2028年のロサンゼルスオリンピックで正式種目に採用されたというラクロスは、見た目以上に激しいスポーツで、男子は接触プレイが当たり前。女子も身体中にアザが絶えないそうだ。
「大学卒業後は『女性アスリートの価値を高める』という理念にも共感し、強豪クラブチームの『MISTRAL』に入部。
大学とはレベルが違いますが、中心メンバーとしてプレイしてきました」。
しかし、新卒で就職した物流施設に特化した不動産会社を退職し、「ネタもと」に転職すると同時に仕事に振り切ろうと決意。
「MISTRAL」でも広報活動に専念した。
転職を決めた理由は広報・PR系の仕事をやってみたかったから。 しかし、未経験者の募集がなかったため、とりあえず営業職から始めようと業務内容や企業理念も魅力的だった「ネタもと」に入社する。 「弊社のPRサービスを販売する新規営業の仕事ですが、4年間続けてきてわかったのは、ただ闇雲に売ろうとするのではなく、まず自分自身が会社とサービスのファンになるのが重要だということですね」。