サンドウィッチマンとナイツが語る、東京芸人50代の“大計画”「ずっと劇場を作りたかった」
「漫才サミット」の同志として、同じラジオ番組の仲間として、プライベートでは友達として。さまざまなつながりのあるサンドウィッチマンとナイツ。 【仲良し】サンド&ナイツが談笑する光景 そんな盟友同士による対談が、2024年2月20日(火)発売の『クイック・ジャパン』vol.170掲載のサンドウィッチマン総力特集内で実現した。本稿では、その一部を抜粋してお届けする。「もう話すことないよね」と笑い合う彼らのトークから生まれた、思いがけない構想も明らかに。
「こんなに完成してる人がいるんだ」と思った
──お互い、最初に出会ったときのことは覚えていますか? 伊達 意外とけっこうあとなんですよ。僕らは昔からマセキ芸能社のライブに出してもらっていたけど、狩野英孝君とかいとうあさこ姉とかきぐるみピエロとかと一緒で。 富澤 そう、そっちの世代とはちょこちょこ一緒になってた。 塙 僕が最初にサンドウィッチマンを見たのは、2006~7年ごろ、なかの芸能小劇場あたりでやってたライブで。「なんでこんなおもしろい人たちが売れてないんだろう」と思って。手紙かなんかを読むネタで、言い間違いがいっぱいある、ボケ数の多いネタをやってたんですよ。当時ちょうど僕らが間違いネタをやろうと思っていたころで、「もうこんなに完成してる人がいるんだ」と思って。 伊達 それはうれしいな。 塙 そこからパクって、ヤホー漫才を作ったんです(笑)。 土屋 いやいや(笑)。 伊達 ナイツは東洋館の『雷ライブ』は出てない? 塙 僕らは寄席に出てたから、逆に呼ばれなかったんですよ。 伊達 僕らは『雷ライブ』で『エンタの神様』(日本テレビ)に引っかかったから、実は浅草はけっこう大事な原点の場所なんだよね。 塙 昔はYouTubeとかもないから、テレビ局のスタッフがよく『雷ライブ』を観に来てたんですよね。東京の芸人が何十組も出てたから。 伊達 そう。あのころ住んでた板橋から浅草まで原付で行ってた。東洋館のそばにある250円のお弁当を2個買って帰ってたな。 塙 「デリカぱくぱく」ね。実際、仲よくなったのは2011年くらいからじゃない? 早坂(須美子/プロダクション人力舎の営業部長)さんの営業で一緒になるようになって。 ──そして『漫才サミット』が2012年にスタートします。 伊達 もう12年? 富澤 早いなあ。 塙 『漫才サミット』は2011年の『THE MANZAI』での僕らの漫才を(中川)礼二さんがすごく褒めてくれて、「一緒にやろう」と声をかけてくれて始まったんですよ。