ともしび消える吹奏楽の甲子園「普門館」…建て替え存続なぜ叶わなかった?
東京五輪の開催を前にして、都内では音楽ホールやスポーツ競技場といったハコモノが不足する事態に直面しています。これらハコモノ不足は2016年に深刻化したことから、関係者の間では“2016年問題”と呼ばれています。 2016年問題は、2017年になっても解消されることはありませんでした。それどころか2018年になった今も深刻な問題と受け止められています。また、きたる2020年は東京五輪の影響から、もっと厳しい状況になることが予想されています。
吹奏楽の聖地・普門館
東京・杉並区にある普門館は、宗教法人の立正佼成会が所有する大型ホールです。一宗教団体の施設ではありますが収容人数は約5000人、舞台間口は34メートル。その規模は都内屈指を誇ります。また、普門館はホールの広さのみならず大型バスが駐車できるスペースが広大に設けられていたこともあり、大きな楽器を運搬しなければならない吹奏楽団に好評を博す要因になっていました。 国内で最大規模を誇る全日本吹奏楽コンクールは、普門館で定期開催されていました。そうした背景から、普門館は中学生・高校生の吹奏楽部員にとって“吹奏楽の甲子園”のような存在として認知されています。 そんな吹奏楽の聖地・普門館が、今年中に解体されることが決まりました。ここまでメジャーな施設ならば新しく建て替えて、ホールとして存続を望む声も出てきたはずです。なぜ、普門館は建て替えることが叶わなかったのでしょうか?
耐震調査でホール天井崩落の危険性判明
“吹奏楽の甲子園”の普門館が、一般にも広く知られるようになったのは日本テレビ系列のバラエティ番組「1億人の大質問!?笑ってコラえて!」内の“日本列島 吹奏楽の旅”というコーナーで紹介されたことがきっかけです。普門館を目指す中高生が練習に励む様子は人の心を打ち、たちまち人気コーナーになりました。 普門館は、1970(昭和45)年に竣工。72年に全日本吹奏楽コンクールの会場として初使用されました。77年からは、全日本吹奏楽コンクールの開催地として定着しています。 「普門館の“普門”とは、すべての人に門を開くという意味で、法華経の中に出てくる言葉です。そのため、弊会の会員でなくても普門館を使用することが可能です。普門館では、吹奏楽のほかにも各種イベントが開催されています。そうした中で、全日本吹奏楽コンクールは40年以上もの歴史を有します。長らく、全日本吹奏楽コンクールの開催を支えてきたので、普門館は“吹奏楽の甲子園”と認識されるようになったのだと思います」と話すのは、普門館を所有する宗教法人立正佼成会の渉外広報担当者です。 “吹奏楽の甲子園”として中高生が憧れる普門館でしたが、2011年の東日本大震災が大きく運命を変えます。東日本大震災で普門館そのものの損傷はありませんでしたが、都内にある同規模のホールで天井が崩落。それを受け、普門館でも耐震調査が実施されました。調査の結果、普門館の建物自体に問題はありませんでした。しかしホール天井が、崩落する危険性があると判明したのです。 耐震調査後、立正佼成会はすぐに普門館のホール使用を禁止します。そして、新たにプロジェクトチームを発足させ、普門館を新たに建て替えるのか、それとも改修で済ませるのかといった検討を始めました。 しかし、普門館が立地しているエリアは、都市計画法における用途地域で第1種中高層住居専用地域に定められています。 「第1種中高層住居専用地域には、展示場やホールを建てられないよう規制されています。そのため、普門館のような音楽ホールを新たに建設することができなかったのです」(立正佼成会渉外広報担当者) 用途地域とは、そのエリアに建てられる建物の規制です。建物本体の高さや容積率にくわえ、建てられる建物の種類などが定められています。極端な例ですが、閑静な住宅街に石油コンビナートが立地していると、近隣の住民は危険に晒されることになります。用途地域は、そうした役割の異なる建物の混在を避け、住環境などへ制限をかけているのです。 「建て直しができないのなら、改修という方法で普門館を残す方法も探りました。しかし、ホール天井の耐震性を強化するには、大規模な改修工事が必要でした。大規模改修だと、結局は用途地域に従うことになります。そうした事情から、普門館を残す手立てはありませんでした」(立正佼成会渉外広報担当者)