【ラグリパWest】10シーズン目。岡野干城 [近畿大学ラグビー部/ヘッドコーチ]
この秋で近畿大学、いわゆる「近大」のラグビー部で指導を始めて10シーズン目に入った。岡野干城(おかの・たてき)である。 笑うと目がなくなる。線になる。 「気がついたら、時が流れていました」 チョコレート色の肌も2015年9月からの長さを示している。 岡野は46歳。ヘッドコーチとしてOB監督の神本健司を支えている。近大でのスタートはこの神本の誘いだった。大阪工大高(現・常翔学園)では1年先輩だった縁がある。 その近大は立命館を59-31で降した。9月22日の関西大学リーグの開幕戦である。9トライを挙げ、ボーナス点を含めた勝ち点5を得た。幸先よいスタートだった。 関西ラグビー協会の関係者は感嘆する。このリーグ戦を主催している。 「近大は雨の中の試合やったのに、上手にパスをつないでいました」 例えば前半16、同19分のトライはSH渡邊晴斗とCTB西柊太郎がそれぞれ3人飛ばしのパスを見せた。 雨はボールが滑る。近大はその不利をものともしなかった。岡野は言う。 「予報は出ていたので、練習からボールは濡らしてキャッチングをさせました。BKラインの幅も普段より狭めました」 雨中戦の鉄則を徹底させた。 岡野はこの2024年のチームを評する。 「4年生がいいですね。団結力があって、その上で負けず嫌いの選手が多いです」 その軸はWTB副将の植田和磨。この夏、パリ五輪に日本代表として出場した。 近大は3年前、リーグ戦でチーム最高の2位に入った。4回目だった。 「あの時に似ていますね」 岡野は振り返る。当時はCTB主将の福山竜斗やPRの紙森陽太らがいた。福山は相模原DB、紙森はS東京ベイに在籍する。 岡野は近大では一貫してプロコーチである。そのために日本IBMを退社した。それ以前にコーチは3シーズンやった。2006年からこの日本IBM、「ビッグブルー」と呼ばれたチームでアシスタントコーチをつとめた。 2009年、強化は終わる。最上だったトップリーグから降格した。岡野は社業に専念した。東京から名古屋に異動。志願して1年間の営業研修を受けた。これが今のコーチングの下地を形作る。 「いかに納得して購入してもらえるかを売り手と買い手のロールプレイングによって考えさせられました。伝え方や資料作成などの準備のため、気がつけば朝になっていることが何回もありました」 今の顧客は学生である。苦労して身に着けたことはつながっている。会社員時代の経験の上にラグビーのトレンドを乗せている。 「国際試合の映像を見たり、リーグワンの採用者やOBに話を聞かせてもらいます」 神本は大きな信頼を寄せる。 「ウチの頭脳ですから」 岡野の日本IBMへの入社は2001年。167センチ、70キロのSHだった。 「強くなりそうな感じがしました」 さばきとパスの速さがその特徴だったが、現役は5シーズンと短かった。 「いい選手が入り、成長してきました」 同じポジションには京産大出身の田仲一正らがいた。岡野は引退即コーチになった。 その出身大学は帝京である。入学は1997年。岩出雅之が監督になって2年目。強豪化の前だった。大学選手権での最高位は8強。4年と1年時には近大と初戦を戦っている。 「今、思えば縁がありましたね」 37回大会は33-26、34回大会は45-21だった。高校日本代表の肩書を持つ岡野は1年から公式戦出場を果たしている。 帝京進学には大阪工大高の監督だった野上友一のすすめがあった。高3の全国大会は4強敗退。76回大会(1996年度)は優勝する西陵商(現・西陵)に29-66だった。 「その前に燃え尽きた感じがありました」 岡野がより覚えているのは8強戦。伏見工(現・京都工学院)との一戦だった。 乱打戦を制して、45-31と勝利する。 「お客さんがぶわーっとすごく入りました」 テレビドラマ『スクール☆ウォーズ』の影響だった。モデルとなった伏見工の初優勝は60回大会。7-3と振り切った決勝の相手は大阪工大高。全国大会ではそれ以来となる2回目の対戦だった。 その前年度、岡野は正SHとして全国制覇をする。75回大会の決勝は秋田工に50-10。大阪工大高にとっては4回目の優勝だった。CTBは3年生の神本だった。つきあいは30年を超えている。 この高校を選んだのは「強いところでラグビーをやりたい」という理由だった。競技開始は中学入学後。大阪の相生(あいおい)である。仲のいい同級生らと行動を共にした。そのことが今の幸せにつながっている。 「日々、充実しています。落とし込んだことを学生が形にしてくれた時はうれしいですね。好きなことをさせてくれている家族にも感謝しないといけません」 立命館との開幕戦で、メンバーたちは白星をプレゼントしてくれた。妻と8歳の娘、4歳の息子にもよき報告ができた。 岡野は干城(たてき)という珍しい名を気に入っている。苦笑が交じることもある。 「干の漢字が千になっていたりします」 太平洋戦争に出征した祖父が、知り合った<偉い人>からもらったという。一般的にその読みは「かんじょう」。意味は<国を守る武士や軍人>である。 その意にのっとれば、今の岡野の役目は近大のラグビーを守り、強くしてゆくことである。チームの目標は決まっている。 <関西優勝。大学選手権ベスト4以上> どちらも近大にとっては初めての領域だ。岡野は10シーズンの把握と成長を使い、その高みに青色ジャージーを押し上げたい。 (文:鎮 勝也)