“違和感”の20年間。プロゴルファー佐藤信人の“ターニングポイント”
帰国後、大学受験に失敗して、 浪人して1年間勉強漬けになるのが嫌で、どうしようかと。将来は父のようなサラリーマンになるのかなと思っていましたし、プロを目指して研修生になる選択肢もなく。そんなとき、世界ジュニアでお世話になった連盟の人からアメリカ留学のお話をいただきました。英語が話せるようになれば、いい就職口が見つかりそうだし、軽い気持ちで留学を決めたんです。大学のパンフレットを見ると、「陸軍士官学校」とあって、写真にはずいぶんと坊主頭の学生が多いな、くらいの気持ちでニューメキシコ州へ向かいました。 そんな僕の認識が甘かった(苦笑)。着いた翌日、いきなりバリカンで青刈りに。それが「ラットウィーク」の始まりでした。新入生は「ラット(ネズミ)」と呼ばれるんです。敬礼の仕方、行進の仕方、靴の磨き方、ベッドメイク、シャツの畳み方は一辺の長さまで決まっているのを、すべて覚えさせられました。ホームシックになっている暇さえない。そのあとネバダ州立大へ編入できたんですけど、すっかり軍式英語が身に付いてしまっていて(笑)。年上の学生と話すとき、語尾に「サー」を付けなくて済むのが不思議なくらいでした。 大学の途中で日本のプロテストを受けたのは、ある科目で「F(落第)」を貰って、このままだと卒業できそうにないなと。プロになりたいとも、なれるとも思っていなかったのですが、結果的に一発合格できました。ゴルフで飯を食うなんてことができるのはマルみたいな人だけだろうと。まさか自分なんかが受かるとは思っていませんでした。アメリカの荷物もそのままで、その後結婚することになるまで1学年下の妻に頼み、船便で送ってもらいました。 スウィングやボールは目に見えても、心の中は目に見えない。1997年のJCBクラシック仙台でツアー初優勝。2000年にはメジャーの日本プロを含む年間4勝を挙げた。賞金王争いをし(3位)、平均ストロークでは堂々の1位になった。ところが、心の中で、「優勝よりも、できれば2位がいい」、そう思っていた。後に欧州ツアーに挑戦するも、その理由は他者には到底理解し得ないものだった。 TEXT/Jo Hirayama PHOTO/Takanori Miki ※月刊ゴルフダイジェスト2024年12月号「HUMAN DOCUMENT ターニングポイント 佐藤信人」より一部抜粋
月刊ゴルフダイジェスト
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