Amazon とセフォラの顧客は同じ?美容業界の幹部らはどのように顧客と向き合っているのか:The Glossy Summit
サンタバーバラで開催されたGlossyビューティ&ウェルネスサミットでは、美容やウェルネス業界のエグゼクティブがワーキンググループに集まり、今日のブランドに影響を与えている差し迫った重要課題について議論した。2日目にもっとも注目されたのは、顧客がいる場所でいかに顧客が出会うかという話題で、Amazonのベストプラクティス、オムニチャネル流通の力、量販店と高級店における顧客の重なりなどを中心に活発な議論が交わされた。 以下は、Glossy編集長のジル・マノフがリードしたその対談のハイライトである。エグゼクティブ自身の言葉を引用し、わかりやすく簡潔にするために軽く編集している。
オムニチャネル流通の力(と苦労)
「今後、成功するためには、ブランドはデジタル、卸売、小売で運営しなければならない。デジタルのみのブランドは限界に達するだろう。障害にぶつかって困難になる」。 「D2Cブランドであることはますます難しくなっている。私たちは消費者に対して直接販売を開始し、数カ月前にブティックやスパに進出するまではD2Cのみに力を入れていた。今は製品を動かしていて、まだ始まったばかりだが注文が非常に少ない。小売の進歩の一翼を担いたいと思っていたし、当然どこにでも存在したいと考えているが、顧客に直接リーチすることがどんどん難しくなっていると感じている」。 「VCから資金を調達しようとする場合、まず最初に聞かれるのは卸売りをしているかどうかだ。相手はそこを見たがっている」。 「いまはうまく混在させないといけないと考えている。状況が行ったり来たり変化するのを何度も目にしてきたが、不測の事態に備えて安全策を取れるように、今はあらゆることに少しずつ対応できるようにしておく必要がある」。
小売の重なりを把握する
「今日のチャネル流通を考える際、顧客がいるどの場所にも存在することは必要だが、セフォラ(Sephora)、Amazon、ノードストローム(Nordstrom)で買い物をしている人々は、まったく別の集団ではない。(数年前までは)ウォルマート(Walmart)の買い物客はサックス(Saks)には絶対に来ることはないと思っていたが、いまではパーソナルケアのためにウォルマートに立ち寄って、サックスにハンドバッグを見に行くかもしれない。マスブランドだから扱わないというラグジュアリー小売は、その点を学ぶ必要がある」。 「Amazonの買い物客がセフォラやノードストロームの買い物客と同じだという点には同意できない。Amazonに参入する際、どこか別の場所から撤退するリスクがあることは承知していたものの、当社ではそのようなことはなかった。Amazonの顧客とセフォラの顧客はまったく違うし、だからといって重なる部分がないわけではない。だが、通常、両者は異なっており、両者のニーズも違う。一般的に言えば、Amazonの顧客のニーズは補充である。つまり購入時に何が欲しいかを知っている。しかし認識と学習という点では、私はAmazonを検索エンジンのように考えている。当社ではAmazonのブランドストアの商品ページに掲載できるものはすべて掲載するようにしている。どこかの顧客に情報を与えることになるとわかっているからだ。たとえその顧客が別の場所で購入することになったとしても、私たちはAmazonを学習チャネルとして利用している」。 「Amazonの顧客とセフォラの顧客が同じだという議論は興味深い。実際、私はアルタ(Ulta)とセフォラの顧客はまったく違うと思っているからだ。私が勤めているスキンケアブランドは、セフォラとの独占契約が終了した後、アルタに進出した。売上の食い合いがあるのではないかと思っていたが、実際にはそれはまったくなかった。アルタの顧客層はセフォラで買い物をしておらず、当社が出会ったことのない本当に異なる顧客層だったのだ」。 「アルタの顧客の方が若い。また場所の組み合わせも顧客が誰であるかに影響する。アルタの方がはるかに多くのブランドを扱っているが、アルタのオンライン体験は非常に悪い」。 「小売に参入したいブランドとして、ラグジュアリーの小売業者は当社にAmazonにもターゲット(Target)にも出すなと言っている。それをマスだとみなしており、ブランドを傷つけると考えているからだ」。 「私の経験では、セフォラはここ1、2年で少しよくなってきたが、セフォラは特にAmazonについて非常に曲解しているし、かなり近視眼的だと思う。データを精査すると、Amazonでの広告費が他のチャネルでの売上増につながっているとわかった。だからセフォラには、これらのチャネルへの資金投入はブランドの公平性に貢献するだけのことであり、それはセフォラのためになることでもあるので、むしろ喜ぶべきだと伝えている」。