元日テレ・上重聡アナ、フリーになった直後の苦悩を語る「今日も0円か」…帯状疱疹を2回経験
仕事は選ばずに町内会の司会や運動会の実況も
――珍しいオファーもあったりしますか? 上重:町内の夏祭りの司会もありましたし、社内運動会の実況もしました。それからミスコンの審査委員長をしてほしいというオファーもありましたね。「司会じゃなくて審査委員長でいいの?」とは思いましたけど(笑)。 ――仕事を選ぶ基準は? 上重:基本的にスケジュールが空いていればすべて受けるようにしています。どんな仕事でもそこから得るものがあると思っていて、新人時代に戻った気持ちで取り組んでいます。
局アナ時代よりも収入面ではアップ
――収入面での変化は? 上重:今のところは、局アナ時代より少し上がっていますね。ただ、月によって仕事量やギャラがバラバラだったりもするので一喜一憂せずにしようとは思っています。収入は後からついてくるぐらいの気持ちで、とりあえずは仕事を楽しもうかなと。 ――そんななかで、楽しんでやれていると感じる仕事は? 上重:YouTubeチャンネル『上原浩治の雑談魂』のアシスタントをやらせていただいているのですが非常に楽しいですし、やりがいがありますね。テレビだと一人の選手を深掘りする企画って意外とないので勉強にもなっています。 ――もともと上原さんとは親交があったのでしょうか? 上重:実は巨人時代の上原さんとはほとんど接点がなくて……。大エースだったのでちょっと近寄りがたい存在でした(笑)。 たまたま上原さんが所属している事務所の社長が一緒に甲子園にも出場した京都成章のキャプテンで。その繋がりでお話いただいた形です。ここでも野球経験が今に活きているなと感じます。
WBCのシャンパンファイト取材に感激
――日本テレビ時代の話も聞きたいのですが、最も印象に残っている仕事は? 上重:’06年に開催されたWBCでリポーターをさせてもらったことですね。優勝インタビューやシャンパンファイトの中にも入らせてもらって、イチローさんや松坂をはじめとした同世代の選手にシャンパンをかけられているときに「この歓喜の輪にいるってすごいことだな」と感激しました。 もし野球を続けていたらこの場にいられる選手にはなれなかったと思うのですが、アナウンサーという立場になったことであの瞬間を共有できたと思うので。 ――そのほかの仕事で記憶に残っているものは? 上重:日本テレビといえばお正月の箱根駅伝ですよね。毎年秋ぐらいから取材やリサーチをスタートして正月の本番を迎える。生中継で注目度の高い番組だったのでやりがいはありましたね。 21年間ずっと箱根駅伝に関わってきたので、今年のお正月は何をして過ごせばいいんだろうとは思っています(笑)。