元日テレ・上重聡アナ、フリーになった直後の苦悩を語る「今日も0円か」…帯状疱疹を2回経験
世代の星・松坂大輔に掛けられた言葉
――「フリーになる」ことを最初に伝えたのは? 上重:まず、同級生の松坂大輔には伝えましたね。以前から漠然と「フリーになりたい」という話はしていましたが、40歳を過ぎても局にいる私を見て「そのまま会社に残るんだろうな」と思っていたそうです。 そんななかで決断を伝えると「今、自分がそう思ったんだったら一番いいタイミングだと思うよ」と言って背中を押してくれました。 でも、次の仕事が決まっていてフリーになると思っていたらしくて、仕事はノープランだと話したら「それはフリーじゃなくてフリーターじゃん!」ってツッコまれました(笑)。でも、要所で支えとなる言葉をくれる親友です。
5月は12連休で体調不良にも
――フリーになった直後は苦戦されたそうですが……。 上重:5月までは休みばかりでした。12日連続休みもあって、一体ゴールデンウィークはいつまで続くのか……と結構焦っていました。 でも、6月に『ダウンタウンDX』に出演したときに浜田雅功さんに“仕事がないこと”をいじってもらったおかげで翌日30件ぐらい一気に仕事が来ました。改めてテレビの影響力を感じた瞬間でしたね。浜田さんには感謝の気持ちでいっぱいです。 ――仕事がない時期の心境は? 上重:不安だらけでしたね。会社員のときは月給制なので休日は楽な気持ちで過ごせていましたけど、フリーになると休日イコール仕事のない日なので「今日も0円か」という思いが頭に浮かんで、このまま休んでいていいのかと思い始めて……。 メンタルは強いと思っていたんですけど、フリーになってから2回も帯状疱疹になったんですよ。きっと先々への不安やストレスで体が悲鳴を上げていたのだと思います。
プライドを捨てたことで気持ちも楽に
――そこからどうやって立ち直っていったのでしょうか? 上重:プライドを捨てて開き直りましたね。「仕事がありません。皆さん仕事ください!」ということを堂々と言えるようになって。そうすると先ほどの浜田さんもそうですが、いろんな方が手を差し伸べてくれるようになりましたね。 ――例えばどういったオファーが来ましたか? 上重:野球関連の仕事だったり、野球をしていたときの知り合いに仕事をもらったりが多かったです。野球にもう一度助けられたなという感覚です。 ――局アナ時代とフリーで一番変わったことは? 上重:まず仕事の幅が広がりましたね。日テレ以外のテレビに出演することも不思議な感覚でしたし、ラジオやYouTubeといった仕事は全くしたことがなかったのでどれも新鮮ですね。CMで演技もしたのですが、自分の大根役者っぷりには驚きました(笑)。