教員14年目の休職。台所に立てる日も立てない日も、今日を生きる
自分を強制的にリフレッシュさせる機会づくり
日中、宿題を見られる幸せ。3色そぼろ丼にする気力がなく、肉そぼろと玉子の2食丼でも「ママの料理、おいしい!」と、満面の笑みで子どもたちに言われたときのありがたさ。 子どもの食へのこだわりはとうに手放し、状況に応じて冷凍食品やレトルト、ファストフードのテイクアウトも利用するようになった。自分も家族も笑顔になれるならそれでいい。 初めてしみじみと、ゆったりした時の流れから生まれるささやかな喜びを実感している。しかし、体調によってはそう思えない日もまだある。 とくに今年の2、3月はひどかったという。 「家から1歩も出られませんでした。夜は悪夢で2時、3時に目覚めてそのまま寝付けない。せっかく休ませてもらっているのに、ちっとも良くなってないじゃないかと、つらく思うこともありますし、何も楽しいと感じられない日もあります」 5月、妹の結婚式のためひとりで遠出をした。忘れかけていた旅の楽しさを思い出し、落ち込みから抜け出すきっかけになった。 夫は、新婚時代から、頑張り屋の彼女が煮詰まっているのを見ると「どっか行ってきたら?」と、絶妙のタイミングで声をかける。 海とショッピングと旅行が好きな彼女に、1泊でもいいから好きなところに行っておいでよ、と。 「仕事をしていたときから月に1度くらい、都内のラグジュアリーなホテルにひとりで泊まるのがリフレッシュになっていました。近々またひとりで都心のいいホテルに泊まりたいですね」 妹の結婚式もそうだったが、ホテルや旅行のいいところは、前もって予約するため、強制的にリフレッシュの機会になることだ。 穏やかな表情で彼女はこう語る。 「この休職中の課題は、私自身が家族以外で好きなもの・ことを見つけることかもしれません」 最近は、参鶏湯(サムゲタン)や手羽元の煮込みをよく作る。好きな音楽を聴きながら黙々と料理をする時間も、小さなリフレッシュになっている。 その後、摂食障害のほうは。 「気づいたら自然に食べていて、症状が収まっていました。自分を表すのは、体重やカロリーじゃないんですよね。数字だけを気にしていると、簡単に自己否定につながってしまう。ちょっと危険だなと思いかけたら、夫に聞きます。“私、太ってない?”、彼は“太っていないよ”。“じゃあいいや”って、ほっとする。おかげで食事量が安定してきました」 職場で心身を壊してしまったが、いっぽうでかけがえのない気付きもたくさん得ている。 「お子さんの病気とか反抗期とか、子育てに苦労されている親御さんをたくさん見てきました。私の苦労なんて足元にも及びません。娘たちは、風邪ひとつ引かず、なんとかのびのび育ってくれている。それだけでありがたいですし、逃げずに一生懸命向き合っている親御さんたちの姿から、学んだことはとても大きいです」 小学校で英語の授業が導入されて久しい。それに備え、日中は英語をオンラインで勉強している。 「じつは全然喋(しゃべ)れない教師も多いので。自分が喋れるようになった状態で教えたいです」 倒れてもなお、職務の向上を考え続けている。 彼女のように、たった今、部屋や台所のどこかで、教壇に立ちたくても立てない、ままならぬ時間を過ごしている教職者は、どれだけいることだろう。 苦しんだ時間がきっと生かされる日が来ると、祈るような思いで彼女の台所を見つめた。 ■著者プロフィール 大平一枝 文筆家 長野県生まれ。市井の生活者を独自の目線で描くルポルタージュコラム多数。著書に『ジャンク・スタイル』(平凡社)、『人生フルーツサンド』(大和書房)、『注文に時間がかかるカフェ』(ポプラ社)など。本連載は、書き下ろしを加えた『東京の台所』『男と女の台所』(平凡社)、『それでも食べて生きてゆく 東京の台所』(毎日新聞出版)の3冊が書籍化されている。
朝日新聞社