SNSで横行する著名人になりすました「偽広告」、プラットフォームの責任は?
◇なりすまし型「偽広告」とプラットフォームをめぐる多彩な論点 ここまでなりすまし型「偽広告」等による「SNS型投資詐欺」への対策となるPFの規制について話してきましたが、広告や投稿を制限するにあたっては、憲法が保障する表現の自由、あるいは事業者の営業の自由との兼ね合いも考慮しなくてはなりません。 そもそも、インターネット以前のパソコン通信の時代から、ユーザによる様々な発信に対して、直接の発信者ではないPF事業者はどこまで手を出してよいのか、また、どういう場合に手を出さないといけないのかは、非常に難しい問題として議論され続けています。 実際、ウェブ広告を含むPF上の表現への削除の申請が行われたとき、ユーザとPF側で温度差が生じることは起こり得ます。たとえば、論客や政治家が公開した記事や広告に対して名誉毀損の主張がなされた場合、ユーザ側としては裁判所の判断が出るまで取り下げない構えであっても、PF側は訴訟を回避するために削除に応じたいというケースが考えられるでしょう。 営業の自由だけではなく、PF自身にも表現の自由があるとする考え方もあります。インターネットの検索エンジンに対して、過去に逮捕歴のある個人が逮捕当時のネット記事を検索結果に表示しないよう申し入れても、非表示とする法的利益が、「表現行為の側面もある」検索結果の提供の価値より明らかに優越する場合でなければならない、とする最高裁判決があるのです。 PFによるコンテンツモデレーションを表現行為として扱うとすると、どれだけ政府が「望ましいPFのあり方」を思い描いたとしても、それをPFにどこまで強制できるのかは微妙です。これはインターネットを重要なインフラとして、どの程度まで公的な存在とみなすかという問題にもつながっています。 また昨今のSNSでの詐欺等の犯罪や権利侵害情報の蔓延、社会問題化する誹謗中傷などを背景に、匿名での情報発信を禁じるべきだとの主張も根強くあります。しかし、ビジネス主体である広告主の本人確認を厳格化するのはともかく、私の意見としては個人の「実名制」には反対です。被害の低減にはある程度役に立つ一方、大胆な意見表明や内部告発など匿名による重要な表現への萎縮度合いを考慮すると、デメリットのほうがはるかに大きいと考えられるからです。 このようにSNSを舞台とする「偽広告」「投資詐欺」の問題は、PF側が見つけ次第公開を停止すればよいという単純な結論にはおさまらず、関連する興味深い議論を引き出します。ある意味ではそこに、憲法はもちろん、刑事・民事・そして行政規制がクロスオーバーする情報法の面白さがあるのだと思います。
丸橋 透(明治大学 法学部 教授)