「世間をごまかしていない」現役の東京大学講師も感激した「伝説のストリッパー」の生き様
1960年代ストリップの世界で頂点に君臨した女性がいた。やさしさと厳しさを兼ねそろえ、どこか不幸さを感じさせながらも昭和の男社会を狂気的に魅了した伝説のストリッパー、“一条さゆり”。しかし栄華を極めたあと、生活保護を受けるに至る。川口生まれの平凡な少女が送った波乱万丈な人生。その背後にはどんな時代の流れがあったのか。 【漫画】「しすぎたらバカになるぞ」…性的虐待を受けた女性の「すべてが壊れた日」 「一条さゆり」という昭和が生んだ伝説の踊り子の生き様を記録した『踊る菩薩』(小倉孝保著)から、彼女の生涯と昭和の日本社会の“変化”を紐解いていく。 『踊る菩薩』連載第44回 『「アソコを見せて何が悪い」公然わいせつで逮捕された「伝説の踊り子」がした衝撃の「言い訳」とは』より続く
運命の初公判
公然わいせつ罪に問われた一条の初公判は6月23日の金曜日、大阪地裁で開かれた。大阪は曇り空で、この時期にしてはやや肌寒かった。 検察が読み上げる起訴内容を聞いた一条は、「間違いありません」と答え、弁護人も「他に述べることはない」と語った。罪を認めて反省の態度を示し、とにかく実刑を回避する戦術だった。 繰り返しになるが、裁判は一条が保護観察付きの執行猶予期間中に開かれている。そうした場合、判決にさらに執行猶予は付けられない。一条が実刑を免れるには罰金刑を勝ち取るしかなかった。 ただ、彼女は執行を猶予されているものの、すでに懲役刑を受けている。今回、罰金刑を期待するのは虫がよすぎた。それでも、とにかく情状を訴えるしかなかった。
情状酌量の望み
母を早くに亡くし不遇な子ども時代を送った。引退を決意し再犯の恐れがない。引退公演であるため、サービスしなければならないという、本人の義理堅さが「わいせつ」の背景にあった。こうした情状を訴え、裁判所が奇跡的にも、それを認めて寛大な判決を出してくれるかもしれない、と弁護士は一縷の望みをつないだのだろう。 一条はのちにこう述べている。 「あたしはそれまでに何度も逮捕されて、全部認めて罰金を払っていたんです。今回は刑務所行きも覚悟せなあかんと弁護士の先生に言われた。それはかなわんなと。本当はわいせつなことなんてしてないと思っていました」 弁護士費用は劇場側が負担した。傍聴席には内縁の夫である吉田や劇場関係者のほか、逮捕を権力の横暴と考えた学生や文化人が姿を見せた。この裁判で「反権力の象徴」となっていくことに、一条は戸惑っていた。 「おカミに楯つこうなんて気はサラサラ(なかった)。舞台でお客の拍手浴びると気がまぎれただけやから」 初公判は罪状認否だけで終わり、次回公判は8月9日と決まった。 8月9日の大阪は朝から快晴で、気温は33度を超えた。 証人は駒田信二である。一条をモデルに小説を書いた知識人が東京から来て、ストリップについて証言するとあって傍聴席は埋まった。 駒田は当時、東京大学文学部講師。専門は中国文学である。長身の彼が証言台に立つと傍聴席から声が飛ぶ。 「先生っ、頑張ってや」 「警察は弱い者いじめや」 「引退していくのに可哀そうやないか」 裁判官の大野孝英が静かにするよう注意している。 被告人席の一条はワンピース姿で薄化粧をほどこし、ややうつむいている。駒田は宣誓をした後、弁護人の質問に答える形で証言していく。まずは彼女に関心を持ち、小説を執筆した動機である。