核保有国インドの国父像は、戦争被爆地の原爆資料館近くにふさわしい? ガンジー像巡る広島と長崎の対応
オランダの人たちというよりも、実は、インドの庶民とだった。 ▽インド更紗はガンジーの理念に通じる インド産綿織物は、ガンジーの独立運動の象徴でもある。ガンジーが、糸車(チャルカ)を回して木綿糸を引く姿は、あまりにも有名だ。 インドを支配していた英国は、18世紀後半からの産業革命に成功し、機械による綿織物の大量生産を始めた。英国産の安い綿製品がインドに入ってくることになり、それまで世界中に輸出していたインドの綿織物産業は壊滅的な打撃を受けた。 ガンジーがチャルカを回したのは、インドでの綿布生産を復活させ、英国の経済支配からも独立しようと考えたからだ。 チャルカを回すガンジー像が出島にあれば、インド人観光客の魂を揺さぶり、長崎との深い縁を感じてもらえると思う。 出島は、非暴力・不服従のガンジーの理念にも通じる歴史的背景の詰まった場所ではないだろうか。 「鶴の港」と呼ばれる美しい長崎港には、外国から来た大きな客船が毎日のように着岸し、多くの外国人観光客が、キリスト教文化や明治維新の歴史、原爆の惨禍などを学ぼうと街を歩いている。
今は欧米や東南アジアの観光客が多いが、近い将来、カラフルな伝統衣装サリーを着た多くのインド人観光客が、出島にあるガンジー像を見て日本との歴史的な縁を感じたり、近くにある浜町アーケードでショッピングを楽しんだりする姿を見てみたいと思う。