コーヒーで旅する日本/関西編|コーヒーの“わからない”を解きほぐす。古刹の中に開かれた頼れるロースター。「太山寺珈琲焙煎室」
全国的に盛り上がりを見せるコーヒーシーン。飲食店という枠を超え、さまざまなライフスタイルやカルチャーと溶け合っている。なかでも、エリアごとに独自の喫茶文化が根付く関西は、個性的なロースターやバリスタが新たなコーヒーカルチャーを生み出している。そんな関西で注目のショップを紹介する当連載。店主や店長たちが気になる店へと数珠つなぎで回を重ねていく。 【写真を見る】 重要文化財の仁王門をくぐり、境内に入ると厳かな雰囲気が漂う 関西編の第90回は、兵庫県神戸市の「太山寺珈琲焙煎室」。神戸市内で唯一の国宝建造物を擁する太山寺の境内にあり、郊外ならではのロケーションを活かしたオープンな店作りで地元の厚い支持を得ている。店主の横野さんは、システムエンジニアからバリスタ、ロースターへと転身したユニークな経歴の持ち主。神戸市西区へ移住したのを機に、自宅の一部を改装して焙煎所としてオープンしたのが始まりだ。「コーヒーのことがわからないという方ほど、来ていただきたい」という横野さん。元々はコーヒーが飲めなかったという経験からたどり着いた、開かれたコーヒーショップのあり方とは。 Profile|横野貢司(よこの・こうじ) 1977年(昭和52年)、神戸市生まれ。システムエンジニアとして3年勤めたあと、ラテアートをきっかけにバリスタに関心を持ち、料理専門学校で1年間、基礎を学ぶ。卒業後、神戸の人気カフェバール・カフェラで約6年の経験を積み、開業を見据えて焙煎を学ぶべく、西区の自家焙煎コーヒー店で5年間修業。その後、太山寺に移り住み、自宅の一部を改装して、2015年に「太山寺珈琲焙煎室」をオープン。 ■コーヒーを選ぶときのネガティブな表現をなくしたい 神戸市内唯一の国宝建造物を擁する太山寺の境内。山門をくぐった先、風情ある参道沿いに、よもやロースターがあろうとは思うまじ。郊外ならではのロケーションを活かした店は、のどかな雰囲気そのままに、大らかにお客を迎えてくれる。「以前から、コーヒーをオーダーする際に、“苦くない”とか、“酸っぱくない”といった、ネガティブな表現を聞くことが多いと感じていて、それをなくしたいというのが開店の大きな動機。難しい話は抜きにして、コーヒーに対する先入観を解きつつ、その人に合った味わいを提案したい」と店主の横野さん。店頭では気軽に何でも聞けて、淹れる過程も目の前で見られる、オープンな店作りで地元のファンを増やしてきた。 「僕も元々はコーヒーが苦手だったので、お客さんがネガティブな表現を使ってしまう気持ちがわかるんです」。そう話す横野さんが、コーヒーをブラックで飲めるようになったのは、すでにバリスタとして働き始めてからのこと。「そのころ、カフェオレなどは飲めましたが、ミルクなしではまだ無理でした。そのときはロースターでなくカフェでの開業を考えてましたから、コーヒーそのものよりラテアートやアレンジの方に意識が向いてたんです」。それでも、勉強を兼ねて同僚のバリスタと方々の店を巡るうち、当時、元町高架下にあったGreens Coffee Roaster(現GREENS)で、自身の嗜好をガラリと変える出合いが訪れる。 「ここで、スペシャルティグレードのエチオピア・ナチュラルを初めて飲んで、ガラッと意識が変わりました。コーヒーなのに、ジャスミンの香りやチェリーの甘味がするのがすごく不思議で。以来、お店に通って、シングルオリジンを端から全部飲んでいきました。店主の巌さんは、サイフォンの競技会の日本チャンピオン。日本一の抽出技術で味わえたのも大きかったですね。また、エスプレッソの味わい方も、ここで知って、仕事の休憩時間も使って、コーヒーの話を聞きに行くことが、すごくいいトレーニングになりました。大袈裟でなく、一生忘れられない体験。これを多くの人に知ってほしいというのが、開店の大きな動機になりました」と振り返る。 ■接客は1組ずつじっくりと会話を重ねて 当時の神戸は、巌さんに加えて、横野さんの同僚でもあるカフェラの宮前みゆきさんが女性初のバリスタ日本一になるなど、関西のコーヒーシーンを牽引していた時期。各地から気鋭のバリスタが集まる機会も多く、その輪の中で横野さんも同業のつながりを広げていった。バリスタとして抽出スキルを磨いていった横野さんだが、同時に、抽出だけで味を追求するには限界を感じたのもこのころ。「抽出技術が同じでも、ロースターで飲むと豆のクオリティで差が出てきます。さらにおいしくするためには素材の勉強が必要と感じて」と、あらためて自家焙煎コーヒー店で焙煎や豆の選定やブレンドを学んだ横野さん。西区の太山寺に移り住んだのを機に、2015年に「太山寺珈琲焙煎室」を開業。あえて街中から離れた立地で、ロースターとしてのスタートを切った。 会話を通してコーヒーへの先入観を解きほぐしつつ、お客の好みに合った味を提案するのが、横野さんのモットー。そのために用意したのが、ブレンド4種、シングルオリジン約15種という、バラエティに富んだ豆の品ぞろえだ。定番のブレンドは、さらり・ほどよし・あまにが、と、味わいがわかりやすく、直感的に選べるネーミングで提案。一方、時季替わりのシングルオリジンは、世界各地の多種多彩な銘柄がそろい、COEなどの希少な豆から、タイやベトナムなどの新興国や、加工のプロセスに特色のある豆など珍しいものが登場することも。コーヒー好きからビギナーまで応えられる提案力は、この懐深いラインアップがあってこそだ。 また、丁寧にヒアリングしつつ、そのときの気分や好みに応えるため、店内には基本的にお客を1組ずつ案内。購入まで終わってから入れ替えるスタイルは、コロナ対策として始まったのを、そのまま継続しているそう。「コロナ以前は、カウンターにお客さんが重なって、注文を急かしてしまうことがよくありました。早くしないと、という焦りから、本来の希望と違うものを選んでしまうこともあったかもしれません。コーヒーを飲むきっかけをつかみに来る方に、流れ作業のように販売するのは違うのではと思っていたので、1組ずつ時間を取って、安心して話して選べるようにしたんです」。 ■サービスマンとして培ったお客本位の姿勢 また、毎週水曜には抽出や焙煎の教室も行い、普段見られないコーヒーの仕事の内側まで紹介するレクチャーも開催。淹れ方のレクチャーなどは細かい数値は気にせず極力単純にすることを心掛ける。「100点満点で、少なくとも80点と感じられる淹れ方を意識しています。お年寄りや子どもまで、どんな世代でも再現性のあるやり方で、おいしく淹れられるとやる気も出てくる。その流れでコーヒーを楽しむ人口を増やしていきたい」と横野さん。時には豆の焙煎や選別の基準を見せるなど、ブラックボックスの部分が多くなりがちなコーヒーの仕事をわかりやすくみせる取り組みも喜ばれている。今では教室目当てのお客も少なくなく、知識や技術よりもコーヒーをよくわからなかった人に広げるきっかけ作りを広げている。「僕も元々はコーヒーが飲めなかったので、だからこそ、“今まで苦手だったけど、飲めるようになった”という声を聞けるとうれしい。コーヒーのことが分からないという方ほど、来ていただきたいですね」という肩肘張らないスタンスが、この店の人気の所以でもある。 こうしたお客本位の姿勢は、横野さんのよって立つ土台がバリスタ=サービスマンにあるからこそ。「お客さんにどう喜んでもらえるかが第一。自分がどんなに焙煎を頑張っても、お客さんの嗜好は千差万別ですから。飛びぬけてコーヒーがおいしいわけではなくとも、ここに来てもらう理由をどう作るかが、店の大きな個性になる。逆に言えば、みんながホッとする場を作った上で、コーヒーの魅力を伝えるというスタンス。コーヒーを通じて、お客さんもつながって。世知辛い世の中のちょっとした潤いになればうれしい」 当初は豆の販売がメインで、テイクアウトのコーヒーは有料試飲の感覚で提供していた。だが、口コミでファンが広がると共に、少し腰を掛けてもらおうと、軽い気持ちで庭に置いた椅子やテーブルが増えていき、いまやオープンエアのカフェのような趣に。開店当初は、太山寺の参詣や近隣にあるラジウム温泉から立ち寄るお客が多かったが、最近ではこの店を目当てに訪ねるお客の方が多いくらい。コーヒーを通してコミュニティがつながり、地元の人々の憩いの場として定着している。 「お客さんには年配の方も多く、ご近所の人が集っている雰囲気が好きで。地域の産物も知ってもらえる、こういうのは街中ではなかなかできない。コーヒー片手に、桜や紅葉が見られるロケーションはここならではの魅力。日常の煩悩はお寺に置いてきてもらって(笑)、ゆっくりとコーヒーを味わってもらえれば」と横野さん。個性豊かなコーヒーの味わいと開放的な空間、ゆったりと流れる時間が印象的。豊かな自然が都会のすぐ近くにあるのも、神戸の魅力の一つ。季節が変わるごとに訪ねたくなる一軒だ。 ■横野さんレコメンドのコーヒーショップは「カフェ シルフィード」 次回、紹介するのは、大阪府八尾市の「カフェ シルフィード」。 「コーヒーマイスターの店主・加藤さんが選ぶ多彩なコーヒーはもちろん、長年続いた純喫茶を引き継いだレトロな雰囲気も自慢のカフェです。加藤さんとは、コーヒーアミーゴスという関西のコーヒー好きの集まりで出会って以来のご縁ですが、お人柄が反映されたスタッフの温かさも素晴らしい。駅前すぐにあって、一人でも気軽に立ち寄れる一軒です」(横野さん) 【太山寺珈琲焙煎室のコーヒーデータ】 ●焙煎機/フジローヤル 5キロ(半熱風式) ●抽出/ハンドドリップ(コーノ) ●焙煎度合い/浅煎り~深煎り ●テイクアウト/あり(450円~) ●豆の販売/ブレンド4種、シングルオリジン約15種、100グラム800円~ 取材・文/田中慶一 撮影/直江泰治 ※記事内の価格は特に記載がない場合は税込み表示です。商品・サービスによって軽減税率の対象となり、表示価格と異なる場合があります。
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