同じことをメーガン妃&ヘンリー王子がやれば"大炎上"...? キャサリン妃が公開した「異例の動画」が意味する王室の挑戦とは
そのことを誰よりよく知っているのは、キャサリン妃自身だろう。年初にはケンジントン宮殿を通じてプレスリリースを発表し、「腹部の手術が必要となり、当面は公務を行わない」と説明したものの、彼女の居場所に関してネット上で飛び交う憶測は、止めることができなかった。 そして、その騒ぎは異様な盛り上がりを見せ、キャサリン妃本人がビデオメッセージを公表し、がんの治療を受けていることを明らかにして初めて、落ち着きを見せ始めることとなった。当然ながら、(自らの行動によって)恥ずかしい思いをした人も多かったはずだ。 だが、私たちはロイヤルファミリーのメンバーを、本当に「共感できる」存在であるべきだと思っているのだろうか? もちろん、ロイヤルたちがそうした存在になろうとする姿勢を見せるのは、今回が初めてではない。ただし、過去のそうした試みが長期的にみて成功だったといえる例は、ひとつもない。 1980年代、ロイヤルたちが登場したテレビ番組『It’s a Royal Knockout』は、広く「失敗だった」と考えられている(エリザベス女王は初めからこのプロジェクトに反対しており、エドワード王子を大いに失望させたと伝えられている)。 また、ヘンリー王子とメーガン妃が「本当の自分たちを取り戻したい」として出演したドキュメンタリーやポッドキャスト番組、応じたインタビューや出版した書籍を、タブロイド紙はそろって嘲笑した。キャサリン妃が公開したようなビデオをサセックス公爵夫妻が制作していたら、きっと彼らは激しく非難されたに違いない。 ロイヤルたちに対して「私たちと同じ!」と感じる瞬間に、すべての人が前向きな反応を示すわけではないだろう。それは、王室の人々は明らかに、私たちが「共感できる」存在ではないため。 私たちの「共感」がうまく機能するのは唯一、ロイヤルたちの態度が正真正銘、その人自身を表すものであり、準備されたものではないと考えられるときだ。例えば、ルイ王子がカメラに向かって見せるおどけた表情や、イベントに出席した幼いロイヤルたちが手をつないで歩く姿などには、親愛の情や、かわいらしいと思う気持ちを持つことができる。 結局のところ、面白みのないプレスリリースでも、取り澄ました動画でも、ロイヤルたちが自らのストーリーを人々にどのように伝えるか、それは本人が自由に決めるべきこと。だが、彼らはあらゆることを知りたいと要求する人々の声に、嫌々従う必要はないはず。 ただ、いずれにしても、皇太子妃が公開した動画の人間味を感じさせるタッチや、病気と向き合いながら過ごした夏を振り返る内容は、同じ治療を受けている人たちにとっては慰めになったかもしれない。 キャサリン妃だけでなく他の人たちにとっても、人生を一変さてしまう病との折り合いをつけていくことに役立つものとなったのであれば、この動画はその目的を果たしたといえるのだろう。
From Harper's BAZAAR UK