「その本の読み方だと、むしろ頭が悪くなります」…多くの人が勘違いしている「頭の悪い人の本の読み方」
先行きが見えない「答えのない時代」を生きる私たちにとって、「自分の頭で考える力」は必須です。でも、何をどのように考えれば良いのか、どのように勉強すれば良いのか、具体的な方法がわからない人も多いでしょう。 【写真】「その本の読み方だと、むしろ頭が悪くなります」多くの人が勘違いしてること 気鋭の哲学者・山野弘樹氏が、自分の頭で考えて学びを深めるための方法=「独学の思考法」をわかりやすく解説します。 ※本記事は山野弘樹『独学の思考法』(講談社現代新書)から抜粋・編集したものです。
「一問一答式知識観」とは何か
さて、以上が「考えるとはどういうことか」というテーマで私が毎回思い出すエピソードです。当時のことを振り返ると、おそらく私は「知識」を次のようなものとして理解していました。 ◯知識は累積的な性格を持つ ◯知識は単なる思考の道具である ◯知識を収集すること自体が思考力を高める (1)知識は累積的な性格を持つ 私は、知識とは基礎からどんどん積み上げられるものだと思っていました。仮に世界の知識の総数を知ることができるとして、例えば「今は全体で二%の知識量を持っている」、「この分野を極めれば全体で一〇%の知識量を持っていると言える」といった風に知識の習熟度を測れるものだと思っていました。 こうした考え方を取る場合、多くの人が「知識はどんどん暗記していった方が良い」という発想に導かれると思います。知識は積み重ねられるものなのですから、一しか知らない人間より、百を知る人間の方が良い……という、一見自明そうな発想が、「とにかくたくさんの本を読もう」という目標を私に設定させたのです。 (2)知識は単なる思考の道具である さらに私は、知識とは思考の道具に過ぎないと考えていました。知識は人間の思考の正確さやヴァリエーションを強化してくれる便利なアイテムのようなもので、知識が豊富であれば、それだけ強靭きょ うじんな仕方で思考を展開することができると私は思っていたのです。 こうした考え方の背景にあるのは、「知識とは、それを生み出す思考活動からは切り離された存在であり、まるで原子のようにたくさんの知識が世界に存在している」という前提です。いわば知識とは、「誰がどのような文脈で考えたのか」ということからは切り離されて、完全に純粋な(客観的な)存在であると私は思い込んでいたのです。